酒井 誠 氏

今回は “議員” と言う職業を紹介させて頂きます。彼は私の中学の時の同級生であり、勉強もできスポーツ万能でもあり背が高く、当たり前女子には“モテ男” を地でいっているような彼。中高時代はバレーボールの主力選手、我々の母校でもある日吉台中学のバレー部って言うのは全国でもかなり有名な部でもありました(大分昔のローカルな話ですみません)

そんな彼が政治を目指す、その理由には彼の家柄もあったのでしょうが、ただ本人にはその気が全くなかったとか、摩訶不思議です。また余りにも多忙な職業であり、彼とのアポイントを取るのも四苦八苦、通常このインタビューには90分から120分程度を要するのですが、60分を切ってしまう程の短さはご容赦下さい。それでも時間を取ってくれた酒井君には感謝の一言です。

ではいつもの如く人物紹介から。

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人 物 紹 介
名前    :「酒井 誠」氏
職業    : 横浜市会議員
年齢    : 52才 1961年11月7日 生まれ
家族構成  : 奥様 & 息子さん3人
ホームページ: http://www.sakai-makoto.jp

 

本田 今日はお忙しい中貴重なお時間を有難うございます。
酒井 こちらこそ宜しくお願いします。

本田 HPを拝見させて頂いたのですが、平成19年当選45才の時、これが最初のトライですか?
酒井 そうです、これが議員の最初です、今二期目が終ろうとしており来年3期目となります。

本田 議員を目指したキッカケは何だったんでしょうか?
酒井 私の父親、叔父が同じ地域の議員だったので、その後を継いだと言う事ですね。実は私、政治家を目指していた訳でもないのですが、また政治自体に興味がなかったと言う訳でも有りませんでした。父親の後継者に若い人がいたのですが、彼がその後を継ぐ半年前くらいに家族に相談したところ最終的に反対されてしまい立候補を断念します、父の後援会で日吉地域から市会議員がいなくなればこの地域が駄目になってしまうだろうとの事で、私に白羽の矢が立ったと言うのが経緯です。また私が若い時には父親の背中を見ながら育っていたので、何か有れば私がやるんだろうな〜と思ってはいました。議員を継ぐまでは東京で8年くらい写真館を自営をやっていて、その時に母親の具合が悪くなり地元に戻って8年位商店街の役員などやっており妻がOKであれば議員をやらなければと。父親も頭がいいので?、私よりも先に女房を口説いて、最終的に私を納得させ議員になったといったヒストリーです。

本田 なるほど〜。
酒井 そういうところから私の議員生活が始まったと次第です。今考えると大多数の方が議員の秘書やったりとか、ガチガチの頭をしながら議員になっていくパターンが多い中で民間の、一般市民から議員になって最初の4年は本当に苦労の連続で、何も知らないからこの政治の世界と言うものを。

本田 本当、そうでしょうね。
酒井 ですから最初の任期4年と言うのは勉強もしましたし、今でも日々勉強です。今はここまできた以上は全うしていこうかなとは考えています。特に幼い時から政治を目指していた訳ではないのですが、政治の家に育っているのは確かですから。

本田 血統ですね、自営業をしていらっしゃて次に議員を、議員と言う立場、これは4年に一回選挙をして当選するかどうかも判らないと言ったある意味不安定な職業ですよね?
酒井 そうです、本当に不安定な職業だと思います。

本田 であれば、元の自営業に戻るとか、サラリーマンになるとかと言った考えはありますか?
酒井 戻らないですね、と言うか絶対に戻れないですね。
実は当初 “二足のわらじ” で少しの間始めたのです、議員をやりながら店を他の人に任せたいたのですが、やはり議員という職業、これは片手間では出来ないと言うのが結論でした。それほど多忙で内容も濃いですし。議員の定数がこの地域(横浜市)が一番少ない、他の市であれば大体人口1万人に対して議員一人ですが、ここは人口4万人に対して議員一人。これは議員一人に対する責務が多いと言う事を意味しています、当然私だけで市民の方一人一人に対応は出来ませんが、物理的には4万人のほうを向いて活動をしなければならないと言う事。そういった世界で議員をやらせて頂いている中で、港北区の議員定数8人の中サラリーマンみたいな感覚をもった議員が何人かはいます、段々とそういう風潮にこの世界がなっていくと、34万人を路頭に迷わせることになってしまうのではないかと言う危惧がありますし、それはつくづく最近感じます。“志” としては私がやらなければと強く思ってはいます。

本田 なるほど、自らの意志で飛び込んでもいないにしても、“責任感” が強いと言うのは至極感じます。
酒井 政治家を目指してきた訳でも無かったので、かえってはなから政治家を目指している方のほうが私から見ると少し違った方向を目指している方が多い様な気がします。

本田 各々、“理想が高すぎる?” と言う意味ですか?
酒井 いやそれとは違い、“勘違いをしていらっしゃるじゃんないかな” と言った点ですね。例えば何か次へのステップアップとしか考えていなかったり、上を目指そうかと、県会、国会議員と言った立場。しかしそれを批判しているのではなく、私もよく周りからは上(県会、国会)へ行けばと言われはするのですが、地域に根ざし、この立場(市議)のほうが仕事として絶対に面白いですし、またやらなければならないことも沢山ある、一地域の議員としての役割が存分に発揮できると言う意味です。価値観は人それぞれですが、私は市議にこだわりたいと思っています。

本田 その立場になって判ること、議員になる前には判らないとは思うのですが、「議員をやってみよう」と決めた最大の理由とはなんでしょう?
酒井 なりたいと考えて誰にでもなれると言った職業でもない(当選しなければならないと言う意味)、やはり地域の方々に貢献できればと考えました。30代の若い時であれば断っていたかも知れません、ただ自分の年齢を考えた時に周りから必要とされている、それに応えていきたい、何かお役に立てればと言うのが主な理由です。

本田 そのお話を聞くと、ご自分の「存在意義」というものを見つけたと理解していいですか?
酒井 そうですね、そう思います。それまで自分を中心に物事を進めてきた、議員になることによって誰かのために、地域の為にといった事柄が出てくる、そういうものに対して自分として何ができるのかを考えた場合、やはり “やり甲斐” はあるとは思います。

本田 なるほど。
酒井 地域を変えるっていうのは非常に難しい、ちょっとづつでも変えていければいいと思っています。“役人と渡り合う” ということ、最初の4年間はこの課題について非常に勉強させて頂いた。
市民から直接談判しても彼らは動いてくれない、そして私のところへ来る。 “上からドン”ではなく、色々な手法を使って動いて頂く、やらざるを得ない方向へ持っていく、これを勉強させて頂きましたが、本来こういうシステムは間違っているのでは? と思うのです。役人も議員も本来同じ立場の筈、公僕という意味においては。誰かがやらなければならない、その一駒だと思ってやらさせて頂いています。今二期目の3分の2程度が過ぎ、ここへきてやっと本領を発揮できているのかなと思ってはいます。

本田 そうですね、“今まであったものを少しでも変える” と言うのは非常に難しい、私も会社員時代にはそれを痛感しました。馴染んだ環境とでも言うのか、人はそれまでの環境を変えたがらない、変えていく環境の方がもっと刺激的で最も効率が良くて、頭では判っているとは思うのですが中々。次に議員になってから最初の挫折と言うのは何でしょう?
酒井 いいことを余り言われない仕事と言う事です。

本田 確かに議員について良いニュースは聞いた事がありませんね。
酒井 例えばどこかの会合に出席しないと、「彼が来ていない!」言われてしまいます。あちらを立てればこちらが立たずと言った具合、難しい立場です。

本田 厳しいですね〜、風邪ひいたとか、体調が悪いとかと言ってもサラリーマンと違って気楽に休めないですね。
酒井 風邪ひいたことはここ2年くらいないですね、二日酔い程度(笑い)。 変な話ですがこういった環境なので議員と言う職業は早く亡くなる確率が高いと思います。引退してホットして2〜3年で亡くなってしまう。そう言う中で長生きしていらっしゃる議員の方と言うのは現役の時いい加減?にやっていたんじゃないかと思ってしまいます(笑い)

本田 相当なストレスの中で仕事をしているんですね、議員と言う職業は。
酒井 でも逆に考えると、そう言う人はその人の「天職」だったのではないかと思います。何のストレスもなくこの仕事ができてしまう、そんなものかなとも考えてしまいます。

本田 私は、政治家では無いのですが「白須次郎」がもの凄い好きで、当時「吉田茂首相」のブレーンの一人として日本を動かしていく、それでも政治に謙虚で、お金目当てでもない、我が身を投げ打ってでも日本と言う国に尽くしていく、そんな政治家や当時の人々の姿勢に非常に好感が持てます。
酒井 あ〜私も好きです、肯定する訳ではありませがん、当時新聞沙汰になってしまった政治家に方もいらっしゃいましたが、やはりそれほどの豪快さがないと政治というものを動かせない!、そうでないと、“チマチマ”考えていたり、あれをすると、これをすると捕まるとか言った考えに縛られず。ただ当たり前の話「捕まる」ことはしてはいけないですが、それほどの豪快さが必要だと言う意味ですけどね(笑い)。

本田 少し話題を変えての質問なのですが、45才で議員に立候補して今がある、それまでにご自分で事業をしていた。その一つ、一つを “点” と考えた場合に、今の “点“ とその時の “点” とが “線” になって繋がっていますか?
酒井 う〜ん、正直余り繋がっていないです。ただ強いて言えばその家庭(政治家)に育った“点”があって途中途切れる、自分で事業を行なっていたと言う意味においては。そしてまたそれが議員となった時点で  “点”に繋がっていく、無理矢理かな?
ただ “タイミング” と言うか、“縁” と言うかそれは感じます、そうでなければ私に白羽の矢は立ってなかった訳で、また父親が議員でなければ、私も多分この身分ではなかったでしょうね。

本田 それは偶然、必然のどちらでしょう?
酒井 今考えてみると結果論ですが “必然” だったのでは? と思います。
今顧みれば必然だと思うのですが、そうであればきちんと勉強しておけば良かったかな〜とも考えますけどね。

本田 思うのですが、世襲議員とか2世議員が良い悪いの問題ではなく、酒井さんの場合は学校を卒業して民間(ご自分で事業を始めた苦労)、これは至極良い経験だったのでは?と思います。一般の方々の気持ちを理解できると言う意味において
酒井 ええ、それはそう思います。でも良く叩かれますよ、二世議員と言う事で、但し私はポリシーを持っていて、他に誰を出せるたのかと? 地域以外の人がポッときて、はい私は市会議員ですって言っても、地域の事を何も知らない議員に何が出来るのか? 国会はその限りではないですが地方に於いてはそういう意味があると思います。

本田 う〜ん、なるほど。であれば息子さん達に議員と言う職業、3世になる訳ですが継がせたいと思いますか?
酒井 いやそれはないです。この議員と言う職業は意外と割に合わない(笑い)

本田 と言うと?
酒井 議員を辞めたら、生活保護を受けなくてはならないかも知れない、そんな職業ですよ、年金もない、年金潰されたじゃないですか。こんなリスクのある仕事をする人の気が知れないと言うのが正直な感想です(笑い)、私のかみさんは自分で商売していたのを辞めてまで、収入だって議員と比べても減る訳ですから、それでもやらせてくれた。また今考えると商売は続けていれば良かったかな〜とも思いますよ。ですから余りこういう現実的な話をあらわにしてしまうと、志を持った人達が議員をやらなくなってしまう、それを危惧しています。手取りも正直に言いますけど、月凡そ60万円程度、一般企業の課長か、部長に届くか届かない程度。この中で事務所経費やその他、また自分の生活もカバーしていかなければならない。

本田 厳しいですね、現実は。
酒井 そういう事もあって、今我々は議員の待遇を上げていかなければならないと思っています。将来の議員のためにも、そうでないと本当に議員をやる人がいなくなってしまうと言うか、議員は必要なのか?といった議論になってしまいます。であれば誰が市民の、その一人、一人の生活や意見に耳を傾けることができるのか?と。今子供達の間で政治家になりたいなんて言ってる子はまずいないですよね?

本田 ええ、聞いた事ないですね。
酒井 昔はあったと思いますが、今はそうでもない・・・“夢”を与えてないですから、子供達に。

本田 でも一番ダイナミックな仕事だと思うのですが。今までのお話を聞いていると“志”が高くないとできない、そんな職業かと思います。
酒井 ええ、そうあっては欲しいと思います、今一緒にやっている仲間は志高くしていますが、最近は一つの“就職先”として見られていてサラリーマン議員と言う方が多いような気がします。最近で言えばあの「泣きじゃくり会見」議員、彼はその典型例ではないかと思います。一人を見て全員そうだと判断されてしまう、議員の宿命かも知れません。

本田 そうですね、警察官の不祥事と同様に一生懸命職務に励んでいる方もいる筈なのに同じ目で見られてしまう、“公務員” と言うだけで。公務員の辛いところですね。では次に「議員に定年はない」と言う事で幾つくらいまで議員を続けるつもりですか?
酒井 判らないですが、今考えているのは生涯議員でもいいなかとも考えてはいます、ただ70才を超えた時に周りの人がどう判断するかです。自分がそのつもりでも判断されるシステムですから、ただし選挙を戦う相手が30才でも40才でも私に価値があると市民の方に判断して頂ければ当選するし、それは80才を過ぎても同様かと思います。

本田 また先程と同様の質問ではあるのですが、そこまで考えていても息子さんには継がせたくない? 一人の親としての心情は理解できますが、“男の仕事” または “やり甲斐” として考えた場合は如何ですか?
酒井 う〜ん難しいですね、但し誰かがやらなくてはならない仕事でもある訳です、本当に理解ある人、それでもいいと言った人(議員という責務の大きさや収入も含め理解出来る人)がやるべき仕事なんだと思います。そういった意味では世襲がいいのかなとは思いますが、何とも言えないですね。
今現実にいいサラリーを貰っている息子を4年に一回無職となる仕事を継がせることは親としては難しいですよ、これは。(“4年に一回無職となる”と言う意味は絶対そうなると言った意味では無く保証がないと言う意味)こればかりは判らないと言ったのが正直なところです。

本田 う〜ん、親として、男として線引きできる職業ではないと言ったところですね。
酒井 そういうことだと思います。

本田 なるほど、先程県や国政に余り興味がない、あくまで市会議員、現場にこだわる、このスタンスは非常に私から見ていて “恰好いいな” と思うのですが、何か特別な理由はあるのですか? 当然県会、国政の方が格段に収入の面も上がると思うのですが。
酒井 それはやはり昔から、自分が幼い時から見てきた人達と一緒に仕事をそして、交流させて頂く、繋がっていられる。今より次に行ったとしてもこれらの地域の方々をとばしてしまう、極端な言い方をすれば法律を作っていればいいだけの話になってしまう。それではつまらないし地域の事が何も出来なくなってしまう、だから現場に、市会議員と言う立場にこだわりたい。

本田 なるほど一本筋が通ってますよね、私は本音しか言いませんが、こういった人が多く参画しているような政治を望みたいですね。公務員、特に議員などは “色眼鏡” で見られてしまう機会が余りにも多い、そういった環境の中であるから自分から襟を正す人、そういう人こそ最終的には理解してもらえるのではないかと思います。またそういった政治家が余りにも少ないから皆が政治についての興味が薄れてしまうと言った悪循環になってもしまうのかなとも思います、またメディアの影響も大きいですね、都知事の発言、先日メディアで話題になり、本当かどうかは定かではありませんが「都民の90%が韓国好き」おいおいそんな調査本当にしたの?的なこと。
酒井 だからメディアって本当に怖い、聞いた人の頭に残ってしまうし、当の本人が本当にそう言う事を言ったのかどうかの確認もできない・・・。

本田 議員て本当に大変な仕事ですよね。
酒井 「泣きじゃくり会見議員」あれは稀ですよ、ホント! 99%はまとも、残りの1%う〜ん、それ以下かな、あ〜言う人は・・・。その点横浜市は非常に厳しい、今僕は会計の責任者をやっていますが、何かあれば私が裁判を受けなければならない、それ程厳しいですよ。

本田 色々内情を聞いていると、“志” が高くないとできない仕事ですね、それは実感します。
酒井 えぇそうだと思います、自分と家族をどれだけ犠牲にできるか、またはそれを犠牲と思わないでいられるかどうかです。だからかみさんには感謝しています、これで離婚でもしたら議員としては “X” ですから、「家庭を守れないものがどうして市民を守れるのか?」・・・と。

本田 それはごもっとも!
酒井 私も紙一重の状況ですよ、公人といえど家族もさらけ出してますから。リスクが多い仕事です。

本田 話を聞いていて、また酒井君とアポを取るのにも非常に苦労した訳ですが、“休み” ってあるんでしょうか?
酒井 基本ありません、ただこの日は休もうと思って決め打ちで休まないと休めない・・・そういった環境です。

本田 聞けば聞く程厳しい・・・仕事だ!
酒井 会社に通って仕事をしている訳でもないので、こういう形が良いのか悪いのか判りませんが飽きない仕事です、毎日、毎日新しい物事に対処している仕事です。

今日は本当にお忙しい中、また貴重なお時間誠に有難うございました。
“議員” という仕事、世間で、メディアで聞いたりとか話されていることとはやはり実態は違うな〜と思いました。
同級生と言う事で、ある意味本音を聞けたのでは? と思っています。

これからも地域に根ざした、また地域の為になる議員として力を奮って頂ければと思います。

有難うございました!

 


 

 

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