高橋 明治氏

今回初めての 会社員 兼 起業家 と言う立場の高橋氏の登場です。                                                                                                                                       写真
日々会社員という役割を忙しくこなし、その忙しい合間をぬって
高校ブラスバンドの指導や、プロの音楽家とのセッションや演奏会、CD制作。
はたまた彼のホームページをご覧頂ければ判るのですが、作曲活動など。
今回のインタビューは第1弾目として幅広く活動している彼に、
“トランペットの神童” とまで言われ音大をこころざしパリ音楽院
そしてプロを目指していた彼が・・・しかし今は会社員・・・それはなぜ?
(偶然だったのか? 必然だったのか?)

人 物 紹 介
名前     :「高橋 明治」氏
生年月日   : 1968年5月28日
ご家族    : 非公開
会社名    : 非公開(旅行代理店)
ホームページ :http://www.meijitakahashi.com

 

今日はお忙しい中誠に有難う御座います。では始めさせて頂きます。
まず、いつもの質問ですがどんな中高生時代を過ごしたのでしょうか?
高橋 どんなと言うと?
本田 え〜どんな教科が好き、嫌い、得意だったとか、そもそも勉強が好きか嫌いか?
高橋 勉強は全くしていなかったですね〜。

本田 本当ですか?
高橋 いや本当に全くしていなかったです。
本田 では学校の授業は聞いていた?
高橋 サボってはいないけど、聞いていたことは聞いていました。

本田 であれば学校の成績は、3とか・・・。
高橋 オール4くらいです。
本田 失礼な話10段階ではないですよね?
高橋 いや5段階です。

本田 勉強していなくてその成績ですか?
高橋 普通ですよ!
本田 (内心頭にきた!・・・笑いですけど)
高橋 英語と音楽は5でした。

本田 勉強してなくて、オール4てすごい事ですよね・・・笑い。
高橋 笑い・・・塾は行ったことないんですよ、浪人するまでは。
で、「毎日の学習」 ってあるんですが、これは母親が無理矢理とってはいたんですが、
全くやらなかったですね。白紙のままいつもファイルしていました。
中3になって、さすがにヤバイと思って進研ゼミで一年間やったかな、それだけですね。

本田 あ〜納得いかないな〜・・・、質問を変えますが、音楽が5と言うのは
4才の時からピアノをやっていた影響ですか? また好きで始めたことですか?
高橋 そうですね。
本田 母親からピアノを買ってもらったから?
高橋 違うんですよ、母親が自分の為に買ったピアノを僕の為に買ってくれたと勘違いして
いたんです。

本田 あ、ごめんなさい。そうでしたか。
高橋 父親がクラッシックのヘビーリスナーでして、休みの日にはモーツァルトとかバッハとか
流れてはいましたね。
具体的にはビートルズとかもあったにあったのですが、父親は全てクラッシックばかりでしたね。
ジャズには、走らずクラッシックオンリー。
本田 であればその当時からピアノ、父親のクラッシックという環境の中で育ってきた。
高橋 私が小学校6年の時くらいには、多分 “運命” くらいの指揮はできたとおもいます(笑い)

本田 今振り返ると、それは何故? (音楽好きなこと)
高橋 なぜなんでしょうね?
本田 例えば私の場合、母親がピアノを買ってくれとしても振り向きもしなかったと思うんですよ。
また父親は音楽関連の会社に勤めていてジャズばかり聞いていて、土日と言えばジャズばかり
流れている、そんな環境でも私はそうはならなかった(笑い)
高橋 う〜ん、なんでしょうね、同じ環境下でも兄は本田さんと同様にテニスに傾注するんです。

本田 自分の意志と言うか、気が付いたら “好き” だったと言う事ですか?
高橋 そうなんでしょうね〜、持って生まれたものってあるんだと思います。
私の絶対音感なんていうのもそうですけど。
本田 それは鍛えれば持てるものなのですか? その絶対音感と言うのは?
高橋 えぇ、鍛えて身につける人もいる様ですが、かなり苦労するみたいです。

本田 勉強しなくて成績は上、音楽、英語が5、これってどういうこと?
高橋 いや、オール5であればそうですけど、普通ですよ普通。
本田 あ〜そうですか〜?!、では学生の時に将来に対する夢っていうのはどういうものを描いて
いたのですか?
高橋 えぇ、トランペット吹きになるって決めてました、中1の時から。

本田 中1から? それを職業として食べていこうと?
高橋 そうです、中1じゃないな、小学校6年からです。
本田 はや! ではその時に漠然としてトランペット吹いて仕事としていこうとした夢があって、
仕事そのもののイメージというものはありましたか?
つまり父親の背中(サラリーマン)と言うものを見ていて、じゃ私はこうした仕事をして生活を
していこう! といったイメージ、ちょっと表現が難しいんですけど。
高橋 いや、全くそういうのは考えなかったですね。金銭だとか、職業としての仕事のイメージは
なかったです。

本田 ただただ単純にプロのトランぺッターになりたい! といったそういうもの?
高橋 そうです、プロのトランぺッターになりたい、ニニロッソ(有名なトランぺッター)とか
いたんですが。
本田 ここでふとわいた質問なんですが、ピアノやクラッシックをやっていらして、
何故トランペット?
高橋 ここから始まるんですが、小学5年生の時に吹奏楽部に新しい指導の先生が来て
そこで初めてトランペットに出合います。小学校にはアコーディオンとか縦笛とか木琴とかは
あるんですが、ブラスバンドが来た時に、その当時東京の田舎の国分寺の小学校ですから、
管楽器なんて知らない訳ですよ、オーケストラは知ってはいますけど、ブラスバンドって
凄いなぁ〜って思って、そこでトランペットに興味を持つ様になります。小学校6年の時に
トランペット先生に就いて勉強します。でもピアノは嫌々やってはいましたね。毎日1時間
ピアノの練習をするのが母親との約束、
母親がどこかへ出かける、帰ってきて「練習したの?」
と聞かれると、「したよ!」って答える。
ちょっとピアノの上に乗っているものを動かしたり
して誤摩化していたました・・・練習した
振りです(笑い)。

本田 それって音楽は好きだったけど、ピアノはそれ程でもなかった?
高橋 えぇ、ピアノはそれ程好きではなかったです。 発表会とかで弾く曲はもちろん練習は
していました。好きだったから、ベートーベンは特に好きでしたので。

本田 その年齢でベートーベンを弾く、聞くって持って生まれたものなんですね〜
高橋 ただ基本的には音楽が凄い好きだったんですよ。
父親の大学時代の友達が近くに住んでいて、その方達は当然父の友達ですから同い年、子供が
いなかったので、よく土曜日とかに遊びに行っていたんですが、その家はカーペンターズが好き
でしょっちゅう家でそれが流れていた。私はそれを聞くと、この音楽って英語でなんておしゃれな
音楽なんだろうって、有名な曲、「涙の乗車券」とか「トップオブザワールド」とか凄い
好きでした。で、小学校6年の時に、3才上の兄がロックを聞いていたんですが、ロックとか、
ヘビメタとか・・・ヘビメタも凄い好きで、中学に入るとクィーン、レインボーとか聞いていて
凄い好きでよくコピーとかしてました。

本田 音楽全般が好きで、かたよっていないですね。
高橋 でも、クラッシックのトランぺッターになるっていうのはありました。
ジャズだけは聞く人が周りにいなかったんですよ。
ジャズは大学入ってゼミの友達が「ジョンコルトレーン」が好きで聞いていて、ジャズって恰好
いいな〜と思って。
だからジャズは大学に入ってからなので、“にわかファン”です(笑い)
本田 で、話が前後して申し訳ないんですが、音楽が好きで、トランペット吹きになる! それで
職業として、それで食べていこうと思う、そして音大を目指すことに?
高橋 まぁ、これ言うと「ウソつけ!」って思われるんですけど、“神童” と言われてました、
トランペットの世界では。
師匠から、兄弟子達からも、高橋明治は “神童” だって!、だから高校を
卒業したら、パリ音楽院に進学(留学)しろって言われてたんです。

本田 そして音大を目指していた?
高橋 もちろん!、なので高校を出たらパリ音楽院に進学(留学)すると言う話だったんですが、
取りあえず桐朋学園大学に入ろうと言う話になって、教えて頂いている先生も桐朋学園の先生
だったので、その大学を受験しました。なので受験勉強という勉強は全くしていなかったです。
本田 そして結果として、音大ではなく慶応大学にコロッと方向転換する訳ですが、この原因は?
高橋 要は音大落ちる訳がない!と思っていて疑わなかったからですね。

本田 そうですよね、“神童” と言われていた位ですからね。
高橋 その事に対しては、両親も、先生も、師匠も、自分も合格することに何の疑いも抱いて
いない。けれど、音大受験の為に高校の半年で吹奏楽部を辞めてしまって、今思い起こせば
それが最大の失敗ではあったんです、結局人と合わせること、アンサンブルが好きだったん
ですが、ずーとひたすら自分の部屋にこもってラッパ吹いて、って言う日々が続く訳です、
それは人前で吹くっていうことがないんですよ、これが意味するところは人前で発表する機会が
ない、門下生の前では年に一度程度はありましたが、ただその機会のみ。その時に、自我に目覚めたというか、人前で吹くと手足が震える様になってしまった。自分一人の時は全くそんなことは
ない。手足震えてしまってそれと同時に楽器が震えてしまって、音にならない。
それが音大の試験の本番でも克服できなかったんですよ、これが致命的に。試験当日こんな調子
ですからボロボロでした。でもそんな状態でも不合格ではないと、試験に落ちる訳ないと
思ってました。合格発表の日自分の番号がないことが信じられなかった。

本田 それが人生初めての、そして最大の挫折ですね? “神童” って言われていて。
高橋 そうです、最初で最大の挫折でしたね、だからどこをどう歩いて帰ってきたか判らないって
言う時あるじゃないですか、その時はその状態ですよ、いつの間にか気付いたら家に着いていた。
どうせ自分の受験番号はあると思って見に行ってますから。
でも今思えば、あんな音が一つも出ていないよう演奏で受かる訳ないですよ。
音大の試験て7種類あるんですよ、実技(自分の楽器)、ピアノ、ソロフィージュ(歌)、
楽典(楽理)、聴音、小論文、面接と7日間に渡って試験があるんです、一週間毎日試験です、
一つの大学で。

本田 え〜そりゃ大変ですね・・・(絶句)
高橋 実技以外殆ど満点だったらしいです。 楽典とか聴音習っていた先生の所に挨拶に
行って、“また来年受けるんでしょ?” って言われた時に、その時に初めて涙がグワーって出て、
3〜4日後だったですね、この出来事は。

本田 その試験の結果の日からは、“あぜん” としていたんでしょうね?!
高橋 そうだと思います。
本田 で、ご自分で改めて試験の結果を現実として受け止めることができた瞬間に涙が溢れて
きたと言う事ですね。
高橋 えぇそうだと思います。

本田 今考えるに、先程高橋さんが「あんな演奏じゃ受からない!』と仰っているのを聞いて、
それはご自身にとって、どういう結果なんですかね? 簡単にいうと、良かった? 結果として。
“たられば” の話ですけど、そのままスムーズに合格していたら、今の自分はどうなっていたのか? 等々考えた場合。
高橋 良かったと思います。(落ちて)必然だと思います、絶対に!
本田 必然ですか?
高橋 はい、絶対にそう思います。 お前はこっちに行っては駄目だ!という神からの啓示
みたいなもの。

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