香奈 Daniel氏/クック諸島

今回は、南の島クック諸島の中心の島・ラロトンガ島で生活を、そして仕事をしている女性に焦点を当て “Skype” を通してインタビューさせて頂きました。
中高一貫教育の進学校に通い大学卒業後は広告代理店に入社し一年で退職、そして結果的にはラロトンガで12年の生活を経て “今” を生き生きと生きている、そんな彼女がなぜラロトンガを選んだのか?  そのあたりを探っていきたいと思います。

人 物 紹 介                                                                                                                                                                                                     
お名前   : 香奈 Daniel 氏
生年月日  : 1973年 生まれ
出身地   : 大阪
家族構成  : 夫・息子さん(生後6ヶ月)
会社名   : Kana Travel 代表取締役
設立年月日 : 2002年初頭に設立                                                    KanaTravelLOGOO-2
ホームページ: http://kanatravel.co.ck 

 

 

本田 まずご出身はどちらですか?
香奈 大阪です。

本田 次にどんな中学生、高校生時代たったんでしょうか?
香奈 中高一貫の私立の女子校で進学校です。あんまり学校に馴染んでなくて、う〜んそんなに楽しいかったイメージは中学時代にはなくて、高校時代はそこそこ楽しんでいました。

本田 中学生時代、馴染んでないというのはどういった事でしょう?
香奈 馴染んでいない‥う〜ん、勉強ができて勉強が好きな子がいく学校でしたので、私が小学生の時は勉強がものすごくできた子だった、でも好きだった訳でもなくて‥・。

本田 好きでもないのに、勉強はできた?
香奈 えぇ、嫌いでも無かったですけど、特に好きだというものでもなかったです。

本田 好きでも嫌いでもない?
香奈 小学生の時は勉強は良くできたと子だった事は良く覚えています、また小学高学年の時親から塾に行く?と言われ塾に行き、次に受験する?と言われた時に、うん受験すると言って受かった(私学・進学校)感じですかね。

本田 な〜るほど
香奈 そんな感じだったので中学生時代は少し辛かったですね、中学校に入ってからは勉強ばかりさせられるので、好きでもなく、小学生の時からず〜と成績良かったのに突然凄く成績悪くなって、扱いがひどくなって‥・(笑い)

本田 それって自我に目覚めたのかな?
香奈 どうなんでしょうね?

本田 それ程好きでもなかった筈なのに、勉強に対しては努力できた訳じゃないですか?
香奈 塾に行くのも嫌でも無かった‥・一生懸命勉強して成績良くて褒められる、それがレベルの高いところへ行くと‥・、本当に中学3年間は辛くて嫌でした、最初の頃はちょっとは頑張ったと思うんですが、頑張った結果が褒められるような結果にならなかったから、本当に嫌になったのかも知れませんね、ただ余り思い出せない‥‥です。

本田 あ〜なるほど
香奈 余り思い出したくもないです‥・。

本田 理解です、そんな感じで中学生時代を過ごし、高校へ行く、高校生時代はどういった学生でしたか?
香奈 高校は割とイベントが多く、また同級生の半分位は知っている子ばかりだったのと、また成績が最下位にいることに慣れていたので(笑い)、高校時代はそこそこ楽しかったです!

本田 その中・高生時代に海外に興味はあったんでしょうか?
香奈 初めて海外に行ったのは、高校の1年の時に通っていた学校の姉妹校がイギリスにあって希望者がそこへ2週間程度交換留学できるシステムがあり、確かそういうのがありました。

本田 で最初にイギリスへ行った?
香奈 いえ、希望者が多すぎて抽選に外れて親がそれに外れてしまって悲しがっていた私を見かね似たようなプログラムを見つけてきてくれて、ホームステイプログラムだったかな、2週間くらいアメリカ西海岸にいきました。またそこに遠い親戚がいてそのつてで現地の語学学校に通いました。

本田 それが初めての海外?
香奈 えぇ、それが初めての海外のはずです。

本田 で10日間なり2週間なり行って帰ってきて、またどこか海外へ行きたいと思った?
香奈 それはもちろん思いました、アメリカって凄いから‥‥。

本田 う〜ん、アメリカってその時期(高校生)に行くと印象強いでしょうね。
香奈 イギリスより良かったと思います、それからまた高校生の時にアメリカへ行っています、父親がアメリカに単身赴任していたので、家族で会いにいきました。

本田 そういう環境だったんですね?
香奈 そういう環境?

本田 そういった環境父親がアメリカに赴任している、ご自分が海外へ二回も行っているといった環境、と言う事を前提にご自分の将来の仕事のイメージというものは何か持っていたのかな?
香奈 その時には全くありませんでした。

本田 全くない?
香奈 本当に子供でしたから、そういったイメージが本当に湧くのは大学を卒業してからなんだと思います。

本田 であれば、大学生時代3年とか、4年生の時に自分の就職の事を意識すると思うのですが、その際に海外で就職したいとかそういったイメージはどうでした?
香奈 ま、日本で就職するイメージはありましたが、仕事で海外へ行けたらいいなぁ〜とはもちろんそう言った考えはありました。

本田 であれば最初に海外に興味を持ったのは、イギリスでの交換留学が駄目だった時、その時なんでしょうか?
香奈 えぇ、その時だと思います。

本田 海外に興味を持った原因と言うか理由なんですが、失礼な話勉強から逃れたいとかそう言う事?
香奈 あったんだと思います、そういうのが。本当に子供だったと思います、与えられた環境の中であがなう事しかできない、学校を変えるとかそういった考えはなかったから、その学校の中でこれ面白そうだな、こんなのやりたいなと試行錯誤していたんだと思います。もちろん学校を辞めてしまった子もいました、中学校の時同じように感じた子達だと思うんですけど(勉強が面白くない、ついていけないと言った感覚)

本田 次に日本での職歴を簡単で構わないので教えて頂けますか?
香奈 職歴? え〜と大学卒業後まず最初に入ったのは、広告会社のプロダクションです、何かこう華やかな仕事に就きたかった、大学時代には何も考えていなかったので、だけど広告プロダクションと言うのは全く華やかでなかったので一年でやめましたね、残業も多かったですし。

本田 広告業界というと華やかなイメージってありますもんね、でも潔いですよね1年で辞めてしまうとは・・・。
香奈 そうですよね、やはりそう感じました(華やか)から、でも実際は違いましたので。

本田 ではその次は?
香奈 その時に大人の世界と言うのものはこういうものなのかと悟ったので、チェーン薬局店の事務に、絶対定時に終わる、広告業界は残業が多かったのでそれで選ぶ、また初任給もかなり良かったので、またそれほど長く勤めるとも考えていなかったですし、その時に英会話学校通ってはいました。

本田 それはなぜ?
香奈 多分どこか(海外)に行きたいと心のすみで思ったいたんだと思います。 大学卒業後華やかだと思われた広告業界に入り夢破れて身体も疲れて、だから初任給が良いのと残業がないと言う事でその仕事に就きました。

本田 であれば、その一つ一つにの仕事には納得してなかった?
香奈 えぇ、最初に入った会社(業界)には全く納得していなかったです。薬局チェーン店だけは条件だけをピックアップし仕事内容は除外視していました。

本田 薬局事務は何年くらいですか?
香奈 2〜3年くらい勤めて海外へ行きました。

本田 それで次に初めての海外は?
香奈 半年間ニュージーランドへ行きました。

本田 う〜ん、でもアメリカ2回行ってて印象が強かった、なぜニュージーランドを選んだのかな?
香奈 親がアメリカに行くのを反対しだしたんです、乱射事件だとか留学生が殺されたとかあったので、またニュージーランドはドルが安かったし日本人も少なかったので。その前に広告会社にいる時に友達と休暇でニュージーランドに行っているんです、友達の友達がニュージーランドにいたのでたまたまニュージーランドに行った。

本田 であれば、ニュージーランドに思入れはなかった?
香奈 無かったです。

本田 なるほど、大学卒業後、広告業界に就職して1年で辞め、薬局の事務、次にニュージーランドに半年間行き、次にどうしようと考えていたんでしょうか?
香奈 次はやはり語学を生かした仕事、そういった職種に就きたいと考えていました。あわよくば海外で仕事を!と言うのを希望していましたね。

本田 こうやってお話を聞いていると、結構頻繁に海外へ行ってはいたんですね、話しが前後して申し訳ないんですが、大学の学部を選んだ理由は?
香奈 特にないですね、恥ずかしい限りです、もったいないと思います、貴重な4年間でした、今考えると。

本田 皆そうですよね、取りあえず大学へ行く、“取りあえず” みたいなこと。
香奈 そう大人でなかった、大人になって気付くことです。

本田 親からのアドバイスみたいなものと言うのはあったのでしょうか?
香奈 まず父親は家には居なかったので(アメリカに単身赴任していたので)、母親からは良い学校・大学を出ていい会社に入っていい人に巡り会って、寿退職して安泰! と言う人でしたので。

本田 でも、まぁそういう家庭が多いんじゃないかな? 今振り返って大人になって、一人の息子の母親になってその考え方どう思いますか?
香奈 やはり生きる力を身につけて欲しいと思いますね、私の親はそれを教えてくれなかったから。

本田 それは具体的に言うと、何でしょう?
香奈 う〜ん、私はここ(ラロトンガ)に来てから初めて親離れできましたから・・・。“自分で選択していく力” とでも言ったらいいんでしょうかね。
それだと思います。

本田 う〜ん、なるほど。それはやはり海外出て自分で生活を始めて判ったこと?
香奈 そうですね!

本田 ラロトンガに行ったのは幾つのとき?
香奈 ニュージーランドに留学したときなので24〜25才くらいの時、勉強(語学)と気候(異様に寒い!)に嫌気がさしたとき、思った以上に寒かったので。

本田 あ〜なるほど、寒さを凌ぎにラロトンガに?
香奈 えぇでもその前に、ニューカレドニアに行ってます。

本田 ほぉ〜ニューカレに? ラロトンガがどうのこうのではなく、ニューカレの生活と比べた場合ニューカレの方が便利だと思うのですが、ラロトンガに長く住むと決めた主な理由は? 決め手と言うかそれはなんだったんでしょうね?
香奈 ここにいる人、人柄ですね。

本田 私も仕事でラロトンガに行って地元の方に聞いてみたのですが、元々は台湾から来たって聞いて、え? と思った事があります。
香奈 えぇ、私もそう聞いていて、その説が有力みたいですね、ですから先祖は同じかも知れないです、ポリネシアンと日本人は。

本田 であれば、そこに魅かれたのかも知れませんね。
香奈 えぇそうだとは思います。

本田 今ラロトンガに来て何年目ですか?
香奈 え〜と2002年にきていますので、12年目です。

本田 ではラロトンガでの職歴教えて頂けますか?
香奈 え〜と最初は、ダイビングショップで働いていました。大きな声で言えないですが、イリーガル(法律的にNG)でしたけど。そこがビザのスポンサーになってくれて、マスター(インストラクターの資格)を取ってねと言われ、一旦ニュージーランドへ出国し、あの寒いニュージーランドで資格を取って(笑い)、正規のビザで再度ラロトンガに入国してから約12年です。

本田 なるほど、でラロトンガだったから長く滞在すると決めたのか、その前に海外で仕事をして生活をすると決めていたのかのどちらですか?

香奈 海外で仕事して生活できたらいいな〜とは常に思ってはいましたが、まさかそれほど簡単にではないですが、“ダイビング” をやっていたのがよかったんでしょうけど、ラロトンガに最初訪れて気に入って、その時に一番印象の良かったダイブショップが良かったんじゃないかと思います。ダイブショップで働き始めて、なんやかんやで4年程度働いていました。

本田 4年間住んでみて、ラロトンガって小さな島、車で30分程度で一周できてしまうような小さな島、正直飽きなかったのかな? 便利な日本で生活していてコンビニとか色々なこと含めて?
香奈 私の幼い時にはなかったもの(コンビニ)だから、私には特に必要なかった。

本田 そんなものかも知れませんね、あればあるで使うし便利かもしれないけど、なければないで事足りてしまう、そんなものなのかも知れない。
香奈 そうです!、携帯電話も自分の会社を設立するまで必要なかったですから。

本田 私もどちらかと言うと中学生の時位から海外志向と言うのがあって海外で生活をしてみた、どうしても日本に違和感を感じていたと言うか簡単に言うとそんな経緯があったのですが、香奈さんの場合はどうなんだろう?
香奈 家から出たかったんじゃんないかと思います、親からまた全てにおいて自立したかったんだと思います、そうなんだと思います。

 

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