黒木 伸一氏 / New Zealand

“海外特集第2回目” 今回は大学卒業後すぐにニュージーランドに14年間在住し現在36才。
ご自分の夢を叶え続けている、黒木 伸一氏のインタビューです。
夢を叶えながらも現実を見据え着実に前進している黒木氏、学ぶものが多い気がします。

彼もごくごく普通の人、彼がいかにして夢を叶えていったのか、そしてこれから叶えていくのか?
是非最後までお読み下さい!

 

◽️◽️◽️人 物 紹 介                                             

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名前   : 黒木 伸一氏
生年月日   : 1978年1月28日 生まれ
年齢   : 36才
居住地  : オークランド → クィーンズタウン
職業   : 大手外資系旅行会社/会社員

 

 

今日はお忙しい中貴重なお時間有難うございます、宜しく御願い致します。

本田  そのキッカケは何?
黒木  え〜と母親が音楽が好きでよく聞いていたので、その影響だと思います。母親が聴いていた音楽を聴いていて、いいなぁ〜と、日本でいえば “井上陽水”、洋楽であればビートルズを聴く様になってから音楽にのめり込んでいきます。バンドは大学卒業するまでやっていました。スポーツは全くやっていなかったです、興味がなかったので。

本田  へぇ〜、大学卒業まで音楽が好きでバンドまでやっていて、結果として音楽で食べていこうとは思わなかった?
黒木  元々音楽で食べていこうとは思っていなかったです、あくまで趣味の範囲。バンド仲間も大学卒業したら学校の先生になるんだとか、そういった考えで音楽をやっていましたので。

本田  そうなんですか、割り切っていたんですね、あくまで趣味として。
黒木  よく現実を見ていたんじゃないかと思います。

本田  なるほど、音楽で食べていくのは無理と・・・であれば海外に興味を持ち出したのはいつごろなんでしょうか?
黒木  20歳の時です、大学の時の姉妹校がアメリカのロスにあって、父親が行きたいのであれば申し込んでみたらと言われ、そのプログラムに参加し2週間程滞在しました。

本田  それが最初の海外ですね?
黒木  そうです、それが初めてで英語どうのこうではなく、ただ単にそういうプログラムがあってたまたまアメリカだったと言うことです。実際に行ってみて、こりゃ日本に留まっているのは勿体無いと思いました。

本田  なるほど、
黒木  もっと世界をみないといけないとこの時強く思いました。

本田  それを感じた時同時に、ご自分の将来どういう仕事に就こうかと考えましたか?
黒木  そういうのは全くなかったです。

本田  全くない?
黒木  はい全くなかったです、学部が教育学部だったので、皆卒業したら就職していく、けれども私はいい言い方をすれば、もっと世界を見てみたかった、悪い言い方をすれば現実から逃げていた、まだ正直仕事をしたくなかったですね。

本田  そりゃそうですよね、やりたいことも見つからないのでは・・・。
黒木  そうですね、実際教育実習を経験してみて、それを自分の仕事にしたいのかと自問してみてもそうは思わなかったですから、正直。

本田  では、大学卒業後にはどういった行動を?
黒木  卒業して1〜2週間後にはニュージーランドにいました。

本田  え? 行動が早い!
黒木  と言うのも、家庭が厳しく特に父親にはダラダラしていると喝を入れられる、そういうタイプでしたし、私も成人して家でゴロゴロもしていられない、それも手伝ってか早々と行動したと言うのが経緯です。

本田  なるほど〜、ニュージーランドを選んだキッカケは?
黒木  アメリカの語学研修から戻りその時から海外に出ようと思っていたので、残りの学生生活で貯金をしました。たまたまそのアルバイト先にワーキングホリデーでニュージーランドに行くと言う方がいて、その時にワーキングホリデーと言うシステムを知り、英語を上達させたいとか正直なかったのですが、また知り合いもいるしニュージーランドドルが安かったのもあって安易なキッカケでもあったのですが、それがニュージーランドを選択したキッカケでもあります。

本田  それが選択理由ですか〜。
黒木  当初はアメリカが第一希望、アメリカで刺激を受けたので。けれどもかかるお金が余りにも違い過ぎる現実があって、NZ$とUS$との為替の違いもかなりあったので。

本田  ここでお伺いしたいのは、まだ就職したくない、やりたいことも見つかっていない事を除いて他に何を海外に求めたんでしょう?
黒木  う〜ん難しいですが、海外に出るからには何かを習得して日本に帰って来たいとは考えていました。英語はもちろん出来るようになりたかったですが、それよりも人と違った経験をしたかったんだと思います。

本田  今NZ何年目ですか?
黒木  大学卒業後すぐですから、もう13〜14年目ですかね。

本田  長い! と言うことは日本での社会経験は余りないですね?
黒木  正直ありません。正社員としては・・・契約社員かアルバイトです。

本田  では次にNZでの簡単な職歴を教えて頂けますか?
黒木  はい、まず最初にワーキングホリデーでは日本食レストラン、次にフードコートのお寿司屋さんでアルバイトをしたり。そんなこんなで1年が過ぎましたが、まだ日本には帰れない。

本田  まだ見つかってない(やりたいこと)ということ?
黒木  そうですね、見つけられていない・・・と言った時に自分がどういった仕事であれば納得できるのか、やっていけるのかと模索はしていて、やはり、当たり前なのですが、自分は日本人あることを考えた場合、日本人を相手にした仕事、日本とは関わっていたいと言うことで「旅行」が思い当たります、それで旅行の専門学校に入学を決めて9ヶ月間通いました。

本田  凄い! やはり行動が早い、素晴らしいと思います、正直。
黒木  え? そうですか?

本田  えぇ、皆が皆そうだとは言いませんが大概が自分のやりたいことをみつけないまま就職していく、そういったなかで自分の気持ちに素直に、見つからないからもがく、そしてあたりをつけて挑戦するという姿勢、同級生は既に日本で就職しそれなりにやっていってる、それと自分を比較した時に少し焦ると思うのですよ、いくら自分の思い通りのことを思ってやっていたとしても、別に比較するものでもないのですが、その姿勢を貫いていくことは勇気のいることだと私は思います。
黒木  ただその時に心の支えになっくれたのが両親です。「自分の責任でやるのであれば何も言わないから」と、そう言ってくれましたので、また学校通うのもこれが最後かなみたいな程よいプレッシャーはありました。

本田  いい意味でのプレッシャーですよね?
黒木  えぇ、そうです。

本田  旅行の学校、日本語での授業ですか?
黒木  いえ、英語です。

本田  英語での授業・・・大変だ! 日本語だって専門用語等を理解するのに難しいのにたいしたものだと思います!
黒木  ただ僕は英語もままならなかった・・・です、正直。ですがなんとか学校の試験パスして入学してって感じです。

本田  それで9ヶ月間通って、就職したのですか?
黒木  それで、日本でいったらなんと言うんでしょう? IATAの資格の勉強をして資格を取りました。

本田  それで次に就職ですか?
黒木  それで次に就職なんですが、クラス40人程の生徒のうち日本人が5〜6人がいたのですが、結局ほとんどは日本に帰ってしまった、なぜかというとこの環境下で仕事をさがせるはずはなと・・・(ワーホリ、ビザなしの身分)

本田  なるほど
黒木  今まで二年近く過ごしたここで(ニュージーランド)仕事をしたいというのが強くありましたが、正直通っていた学校の成績は良くありませんでした(笑)、特に日本人の中で一番出来が悪くて。でもテストは何とかパスはしています。要は“コツコツ型”ではなくて、テスト近くになってガッーとやるタイプ。学校には就職課があって相談にもいったのですが、『あなたはワーキングホリデーだし、ワーキングホリデーのビザも使ってしまって、学生ビザも切れてしまったし仕事がある訳ない!」と言われ、そうであれば自分で職を探すことを決め、駄目元で色々な所へ履歴書を送りました。その中で一社だけ面接を受けに来なさいというところがあって、⚪️⚪️会社。でも面接を受けに行って最初は落ちました。

本田  え? そうなんですか?
黒木  えぇ、これは運命的なのですが、そこのマネージャーはその業界で知らない人はいないと言う有名でやり手の人、名前を聞いただけで周りもビビちゃう程。でまぁその方が面接をしてくれて、やはりビザがなかったので最初は採用出来ないと言われたんですが、最初に採用した永住権を持っている方が条件が合わないと言うことで採用を辞退され、私が繰り上げ採用になった次第、それも日本に帰国する2日前の連絡です。

本田  笑・・・そんな瀬戸際で?
黒木  えぇ本当にそうなんです、帰りの航空券を予約して、その航空券代を払いに行き代金を払うその瞬間、お金を財布から取り出して今まさにの瞬間です、そのマネージャーから電話がきて、「あなたまだニュージーランドにいるの?」と! 言われて、「今チケット代を払うところです」・・・と。「まだやる気があるのであれば、明日事務所に直ぐ来なさい」と言われ、「ビザはこちらで面倒みるので働きなさい」

本田  へぇ〜、そんな事ってあるんですね〜。
黒木  本当に間際も間際もでした、正直ニュージーランドは諦めかけていて、シドニー、シンガポール経由の航空券で、それぞれの経由地での面接も予定していて海外で働くことにはこだわってはいました。

本田  なるほど、ニュージーランドに “縁”があったということですね。
黒木  そうだったのかも知れません。

本田  やはり諦めない気持ちと、行動することの大切さ、これに尽きますね!
黒木  そうですね、行動してみて始めて分かること、そして次の手を打っていく。これは行動しないと次の一手は打てないですから。この時それは強く感じましたね。

本田  いい勉強、いい経験していらっしゃいますね。
黒木  そうですね〜そうは思います。

本田  その会社で何年ほど働いたのですか?
黒木  2年です、本当に凄い厳しい会社で・・・、今だにこの会社のその方の名前を出すと、え?その会社で、その人と仕事していたの?と。言われる位ですから。

本田  笑・・・!
黒木  未だに! 細木数子っているじゃないですか、その人が10人位いるみたいな・・・。

本田  笑・・・嫌だな、そんな会社。
黒木  本当、だから辞める人が多くて、一ヶ月とかで。

本田  でもその環境で2年間我慢したと言うのは大したもんですね。
黒木  その会社が私の初めて正社員としての社会経験でしたので社会ってこんなもんなのかと。

本田  あ〜そうか、それが初めての環境であれば、それが当たり前と言うことですよね?
黒木  そうなんです、先輩方には他社にはあれほど変った厳しい上司は絶対にいないと聞いてはいましたけど・・・。

本田  なるほど・・・笑、であれば良い意味でも悪い意味でも勉強にはなった?
黒木  そこで働いていた時は本当に地獄でしたけど、今振り返ると今の私があるのはその人のお陰だと思っています。

本田  全体的な環境が良かったのか、“仕事というもの” を覚えられたのか、どっちなんでしょう?
黒木  人間的にも鍛えられましたし仕事も覚えられましたのでその両方ですね。面接の時にもその人からは、「あなたは私が鍛え直します」とも言われたのを今でも憶えています。その時は学生の延長でしたしチャラチャラしていたので、そう言われたのだと思います。

 

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