片桐 達也氏

記念すべき最初のインタビューに応じてくれた、
(株)ゴーディアンワインズ、(株)ワイン屋2社のオーナー「片桐 達也氏」
“自分自身にチャレンジする” ことを信条に今をいきいきと活躍していらっしゃる方です。
皆さんの将来にヒントとなる「珠玉の言葉」が文章のあちらこちらにちりばめられています。
それを皆さんご自身で感じ、考え、自分のものとして下さい。
少し長くはなりますが、最後に片桐さんから皆さんにメッセージも頂いておりますので、
最後まで読んで下さいネ!

SONY DSC人 物 紹 介
名前   :「片桐 達也」 氏 2社の代表取締役
年齢   : 45才
生年月日 : 1968年12月6日生 父母、姉兄の3人兄弟の末っ子
家族構成 : 妻、子供(3才•男の子)
会社名  : 株式会社ゴーディアンワインズ(ワイン輸入卸売り)
設立年月日: 2002年4月9日
会社名  : 株式会社ワイン屋(飲食業)
設立年月日: 2007年11月1日

ホームページ            
:http://www.gordianwines66.com
支店数従業員数         
: 新宿 銀座の2店舗経営 正社員7名、アルバイト15名
過去3年間の平均売上 : 約2億円 輸入卸約1億2千万円/飲食業約8千万円程

本田:今日はお忙しい中貴重なお時間を頂き有難うございます。
それでは、インタビューを初めさせて頂きます、
お聞きしたいポイントは3つで構成されています、
1)  学生時代(主に中高生時代)
2)  就職前後のヒストリー(20才〜)
3)  起業後のヒストリー

■学生時代(主に中高生時代)
本田:まず最初、一言でいうとどんな学生でしたか?
片桐: 一生懸命クラブ活動をしていた中学生時代、サッカーをしていましたね。
学校の成績は至って、『ド真ん中』、偏差値50くらいじゃないかなぁ〜。
本田:好きな科目、得意な科目はありましたか?
片桐:あ〜ないですね。別にどれもおしなべて中の中、悪かったのは数学かな。

本田:クラブ活動でサッカーをしていたということは体育は得意でしたか?
片桐:いや、決して運動神経が良かったっていう訳でもないし、サッカーも中の中、
ま、一応レギュラーではあったけれども、友達と過ごせる時間が楽しかった!
そんな訳で一生懸命で決してサボる事もなくほぼ毎日クラブ活動は参加していましたが、
実際じゃあ校庭を10周しろとか、空気椅子をしろとか
って言われると、
その辺はうまく手を抜いてやっていた感じの中学生。

本田:得意な科目もないのに成績が中の中でいたのは凄いですよね。
片桐:いや、まぁ何とも言えないですよ。塾に行ってはいたのですが、
自分からすすんで勉強したということではなくて、させられたというのが正解。
親が教育熱心で兄と姉はいわゆる上の上の成績、その勢いで私もと言う
想いがあったのでしょうけれど、やっぱり3人目は力尽きて手を抜いた結果
成績が中の中どまり、そこまでできたのも、無理矢理勉強させて頂いたので、
中の下とか、下の上まで落ちなかったんじゃないかと思っています。
次に高校生時代ですが、アルバイトばっかりしていましたね〜。
蕎麦屋のバイト、喫茶店のバイト、当時時給500円ぐらいだったと思います。

本田:ではその時に仕事の流れっていうか、お金ってこうやって稼げるんだと言うのが、
何となくわかった訳ですね?、お金を稼ぐのっていうのは大変だなとか。
片桐:そうですね、高校生の時、今度は『帰宅部』に所属していたので、
喫茶店に入って麻雀ゲームをするとか、実際雀荘に行って麻雀をするとか、
またはアルバイトをしているというぐらいですから、そんなにやることはない。
仕事を覚えたと言えば、確かに覚えたことにはなります、
単純労働ですよね、自分の時間を切り崩すことによりお金を貰える(稼げる)
言う事はわかりました。

本田:では、その中学、高校生の時に、将来の夢みたいなものってありましたか?
片桐:う〜ん、明確に夢があったかというと、それはなかったかな。
自分はどうなるんだろうと漠然と思い始めるのは、もう少しあとですね。
中学生の時には勉強に関してもいつか本気でやったらできるんじゃないか、
本気出してないだけだよと思っていたら、本気で
ついていけなくなりましたね。(笑い)
姉と兄が本気を出していて勉強ができていた彼らと同じ環境にいるのだから、
いや本気だしてないだけ、やれば “出来る子ちゃん” だと
勝手に思っていましたね。
次につながっていくぎりぎりの職業選択に近いところ、高校のときに『帰宅部』の部長を
やっていて、高校の2年くらいになると麻雀に飽きてきて、
東京の子供なので新宿、
渋谷とかのディスコなんかに行ったりするようになる、
そうするとディスコにいくだけじゃ、
なんとなくちょっと面白くないので、
今度はディスコを借り切ってパーティーをしよう!
と考える訳です。
日曜日の昼間とか、2時間くらい貸し切ると20万円くらい、そこで例えば仲間を呼んで
100人集めて3千円集めると30万、差額(利益)が10万円。
100人高校生が集まるなら、もしかしてスポンサーがつくんじゃないの? と考え、
結構大胆に変な企業に行ってビンゴゲームをやるから商品提供をお願いする。
高校2、3年からそういうことを始め、その時一番軍資金が多くかった。
またドライブが趣味で夜時々友達と新宿 渋谷へドライブに行くと、
バブルの頃だったので1万円札を持った酔っぱらったおじさんが勝手に車に乗ってくると
いうようなことがあって、そのおじさんを八王子とか千葉
とかに乗せて連れていくと
1万円とか2万円になっちゃう、
一晩にそれがなぜか10枚くらい溜まって、
友達と二人でワッハハハァ〜。
時給500円のアルバイトをしながら、夜になると一晩で10万円稼ぐ。
今だと完璧にアウトな『白タク』っていうやつなんですが・・・。
そしてこの軍資金を元手にまたディスコを借りたりしていました。
さすがに、ディスコの方も頭がいいので、高校生のパーティーには後払いはやらせてくれない、
前払いをしないといけない、
それで白タクで稼いだ軍資金を持っていってディスコを借り
パー券を売って
そのパー券のあがり(利益)でまた同じ事を繰り返しお金を増やしていく、
それが楽しくて、楽しくてしょうがなかったのを今でも覚えています。
当時、趣味でスキーをやっており、国内外のスキーツアーをやっている会社がよくスポンサーに
なってくれて賞品の特賞は「国内スキーツアー」が当たる! と言う触れ込みで集客していました。
その頃に、おっ! 旅行会社って楽しいそうじゃん!とか、もてそうじゃん!なにか格好いい!
と言う芽生えがあったのが、高2とか、高3の頃です。

本田:父親から仕事に関する何らかのアドバイスなんてものはありましたか?
片桐:全くないですね。今父は89才、僕は彼が45才の時の子供、
私が17才の時父は60才、大正生まれの父なので教育は母親がするものと考えていたようで、
また上場会社の役員としていたこともあり
当時はまだバリバリと働いていたので、
何ていうかな、膝を付け合わせてしゃべるとかということはなかったですね。

PAGETOP
Copyright © will be” what i want to be. All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.