片桐 達也氏

■■就職前後のヒストリー(20才〜)
本田
:では次に、初めて就いた仕事は何ですか?
片桐:旅行会社です、可もなく不可もない都立高校をド真ん中の成績で卒業し旅行の専門学校へ
うちの高校からすると半分が大学へ進学、半分近くが
専門学校へ、残りの10%程度が就職する
くらいの感じの都立高校。私は当時はやりの専門学校に、それが旅行の専門学校だったので
そのまま旅行会社に就職です。

本田:旅行会社を選んだっていうのは、スキーが趣味だった頃のスポンサーにもなってくれた
旅行会社、旅行って、楽しそう、もてそうと
言うのがキッカケで旅行会社に就職したと
理解していいですか?
片桐:そうです。

本田:その仕事に就いてみて満足と言うか、実際どうだったんでしょう?
片桐:う〜ん、実際就いてみると、やっぱりそのアルバイトの時とは違って、旅行会社の仕事って
いうのは派手なものと思っていたのですが、
割と地味な作業が多くてパンフレットに一日中
ハンコを押すとか、
何枚あるんだよって思ったりもしていましたしね。
そういう仕事、仕事というよりは作業です、やらせて頂けるのはその程度のことでした。
ただある日突然、オーストラリアに赴任してみないかと言う話があり、実際に赴任した現地で
する仕事と言うのはお客さんと直接会う、
旅行にきたお客さんの世話をする、観光バスでコアラを
抱かせに連れて行ったり、
食事の手配をしたりというこれは思い描いた通りの仕事でした。

本田:話が前後して申し訳ないのですが、専門学校を卒業し旅行会社に就職したのは20才の時、
現地に赴任したのは幾つの時ですか?
片桐:20才の時で半年しか東京にいませんでした。バブルがはじけたばかりでまだ日本の経済も
バンバン調子が良くて現地に日本人がいない、日本語が喋れるならとにかく現地へ行けといった
具合でした。

本田:それがきっかけでオーストラリアに行く事になった訳ですが、結局何年間くらい滞在
した
のですか?
片桐:そこから長いですよ、20才でいったのがゴールドコースト、1990年万博がブリスベーンで
終わったばっかり、またその頃
カンタス航空がよくストライキをやっていてお客さんをシドニー
まで
バスを手配し見送っていた時代、一年半くらいゴールドコーストに滞在し、会社が
ニュージーランドに支社を出すというので、今度はそこへ赴任し
そこで4年間くらい、
最後はまたシドニーに戻り28〜29才の時に会社が倒産した時にはシドニーにいました。
なんだかんだ海外には8〜9年間くらい行っていた。

本田:その間は充実していたと考えていいのでしょうか?
片桐:そうですね、若いなりに一つの都市を支店長として任せて頂いたり、一つの国を任せて頂いたりと、楽しい、思い描いていた通りの旅行会社の仕事をしていましたね。ただ無責任なもので、
現地で世話(受け身)しているだけであって、ツアーを企画し集客して現地へ送客してくれるのは
日本の営業所の人達。

本田:もし仮に、海外での仕事のチャンスがなく日本でずっと仕事をしていたとしたら多分
どうなのだろう? 会社を辞めていた?
片桐:難しいですね、そんな辞めるという勇気があったかな〜? 当時、中堅旅行会社だったの
ですが給料もいいんですよ。まだ当時海外旅行では業界5位だったかな、そんなちっちゃな会社
だったのですが上場もしてないし、社長以下プラス日本が250〜300人くらい、海外を入れても
1000人程度、上場してないかわりに監査の目が行き届いてないので年に3回ボーナス出たり、
ある日突然部長さんが封筒をドサっと机の上にそれを置いていく。そんな役員の人達から突然昼飯
食べに行くかって誘われて昼間から生きたエビ(高級!)を食べにいく、すごく景気が良かった時代でした、飲みにいくのも赤坂のホテルとか、はぁっ〜て(感嘆)感じだったので、
辞めたかどうかはわからないけれども、サラリーマンの上下関係を結構楽しんでいましたね。
課長、部長、役員とか雲の上の人だったけどキラキラ輝いていた時代でした。

本田:倒産して、それからまた同じ業界ですか?
片桐:はい同じ業界です、当時29才で会社がつぶれた時は、まだ日本からオーストラリアへの
旅行が
上向きな状態、ま、やっと一人で仕事を動かせる様になった29才くらいの働き盛り、
また9年程度の現地経験があり多少英語ができたので、就職に困らなかったですね。
自分の中で、どこかに行きたいなぁ〜と言うのがおぼろげにあったのですが、その時はとにかく日本に帰りたい、海外はもう嫌だと、飽きた!端的に言えば飽きた、ちゃんと参加している感がない。
もうちょっと、ちゃんとしたことを言うのであれば、海外の現地での仕事と言うのは、
『きたものをさばく』(受け身)
と言うのが仕事で、いわゆる営業というものをやったことがない。ツアーを企画し集客をするというところに非常に興味があって、旅行を違う角度からやって
みたかったですね。例えばホテル、航空会社の営業とか政府観光局
とか就職の口としては色々あった訳ですが、いや旅行を作るところから見てみたいと思い、次に就職した会社は29才なりにかなり
考え再就職した会社が大手旅行会社、オーストラリア、ニュージーランド手配の専門の人が
集まっている会社に再就職したということです。この会社のありがたさはオーストラリアでも、
ニュージーランドでも、日本でも好きな
ところで仕事していいよ! と言って頂いだき東京で
営業に就きたいというのがあったので東京に
戻りました。正直海外に9年近くもいたこともあり、
多少海外かぶれのところもあったのですが、その会社
にはそういう方が多かったので、
リハビリを兼ねながらこの会社に馴染んでいったということですね。

本田:結局その会社には何年くらい在籍したのですか?
片桐:3年、31才まで在籍。内心は3年で辞めようと思っていたのですが、たまたま会社が事業売却(事業撤退、日本は閉鎖)になりました。

本田:そうでなかったとしても辞めようとは考えていた?
片桐:はい、入社した当時には考えてはいなかったのですが、おぼろげに30代で会社を自分で
やりたいと思っていたので、3年と決めていた訳ではないですが、3年やれば何か見えるだろうと。
3年やれば確かに営業ってこういうこと、旅行はこうやって作るのんだなと非常によく見えて
きていたので、旅行に関してだけは作るところから、現地でお客さんを最後空港で見送るところ
まで。それまでに経理、人事も見た、大まかに旅行業というその業態の端から端まで見たかなと
言うのがあったので、そのノウハウを基に次に何かをしようと思っていたのは事実。なのでたまたまその会社が事業売却にあい、退職金も少し色つけてもらえました。当然その私の経歴からして独立
するのであれば、旅行業者をやるのが普通でしょと、誰もが自分も含めてそう思うのですが、
私がなぜ旅行をやらなかったのか? (実は今はやろうと思っているのですけれども)
その以前の旅行会社が倒産したときに、憧れていた課長、部長がその後同じ業界でみんな独立
していく
訳ですが、あのキラキラしていた人達が無精髭にはなるわ、会社は潰すわ、いきなり連絡が
取れなくなるわと言うことで、その末路というかその3年の間に色々見て、自分でやり始めた人達が
結構苦戦しているのを見て、旅行で独立するのは大変だと感じ、あれほど優秀だった人でさえ、
うまくいかないものが私ごときでやれるはずもないと思ったのも事実で、本来は旅行会社で独立
したかったのですけれども、旅行会社というくくりではなく、オセアニアをいうくくりを基にして
形になっのが、ワインの輸入をしていくという事になります。

本田:ここで重要な質問なのですが、30代で会社を作る、独立する、こう考えたきっかけは
何だったのですか?
片桐:少しいやらしいのですが給料、あとは男の子なので、自分で企画をして形を作って売って
いくということをやりたかった。ちょっと前の話と繋げるのであれば、ディスコを借り切って
パーティーを仕切って20万円で借りてきたものを30万円にする、このダイナミズムがやっぱり
忘れられないですよね。ただあぶく銭でやってますから当然失敗したこともあって・・・
もともとが失敗するまでやるんですよ。30万円になったら、次その30万を50万にしようとする、
当然あるところでその “スジ” の方達、本物の人達に潰しにかかられる訳ですよ、
で、そういうことが続くんですが、自分でやることの快感というのかな、そんな事を17〜18才
ぐらいで味わっていましたし、しかもある程度成功(稼いだ)したこともあったので、なんか
まぁやれるかな〜とも
思っていたのも事実です。

本田:失礼ないいかたかも知れませんが、取りあえず社会勉強してみようか、楽しそうだなと
思える旅行業界へ入ったと捉えていい? またそのときに、意識していたかそうでないかは判らない
けれども、将来独立してやろうみたいなものはあったのですか?  その“卵”みたいなもの。
片桐:どうかな〜。

本田:そのときに、楽しいという経験・体験をしている訳ですよね。
片桐:その時明確に『独立』しようとは思っていなかったのですが、まだ経験していないことを
埋めよう(勉強)と思ったのは事実です。『旅行を企画し募集する』と言う部分をやって
いなかったので絶対やりたいと考えていましたし、大手旅行会社に
入ったのは明らかに自分に
足りていない経験をしたかっただけの話、別に給料がいいとか、
会社が大きいとか小さいとか、
そう言う問題で大手を選んだのではなく、旅行という業態の端から端まで見ないといけないと
思ったので3年位いれば見れるのかなぁ〜
と思ったのは事実、その3年の間に小さい器ながらも
穴がないようなことになったのかなとは
思います。営業も経理も人事ももちろんオペレーション的
手配もやった、
旅行業は一応端から端まで見たので、違う業界でも同じようにやるかなと
思いました。独立を意識したのは、ちょっと難しいところなのですが、強く思ったのは東京に
戻って
からですね。AUSやNZにいる時もまだまだ自分に足りてないものが多過ぎると思いましたし
会社が無くなった時にも独立しようとは考えていませんでした。

本田:なるほど、では次に中堅旅行会社の時と、大手旅行会社時の年収を教えて下さい。
片桐:中堅旅行会社での28才の時年収5万ドル
(当時のレートは不明ですが、約500万程度と考えて下さい)大手旅行会社では年収500万円位。

本田:次に、双方の会社での週の平均労働時間を教えて頂けますか。
片桐:現地の時は長いですよ、週6日働いていましたし、空港へ行った時などは
朝早くから夜遅くまで、365日の内300日くらいは働いている感じですね、
大手旅行会社の時は週休二日なので、9時30分から19時頃まで、
週約50時間位ですね。

本田:起業しようと明確に思った事、自分のそれまでの歴史の中で高校生時代にディスコで稼いだ
ことで面白かった、次に旅行業界、かっこいいし、もてそうだし、面白そうだし、ではやって
みよう、と言うことで旅行会社に就職、その後現地は飽きたので日本に戻って、3年経ったら
自分でやってみよう、この一連の流れで自分で始めてみようと思った主な動機って何でしょうか?
片桐:これが意外にも面白いポイントで、大手旅行会社がオセアニア、フィージーも含めての
スペシャリストの会社だったのにも関わらず、カナダ方面を販売するということが始じまった。
私が営業担当していた取引先がカナダも販売していたということもあって、カナダの仕事を頂く
ことになったのですが、私は結構オセアニア職人だなぁ〜と自分で自分の経歴上もそう思って
いましたし、自分の事を買ってくれている取引先は、自分のオセアニアの知識を買ってくれて
いるという勘違いをしておりました。なぜならカナダを始めたらカナダが売れたんです、ビックリ
しましたヨ。私からカナダを買う?!のかと。結局のところ私は、大手旅行会社という大きな
仕れの安心力そしてオペレーションが長年培ってきたノウハウに乗っかった営業マンだったので、
私一個人ではなくても販売できたんだろうと、他の誰かでもできたのだろうなと思いました。
カナダのホテルの仕入れ方はオセアニアと大分違いますが、取引先が求めていたのは、
大手旅行会社の仕入れ力であって、営業マンの知識に対しては期待が薄いんだなぁ〜と結構
判って、結局知識なんぞというものはしっかりしたもの、商品力があってこそ初めて生かされる
ものであり、自分の一番弱いところでしか物事進まないのかなぁ〜と少し学んだ気がします。
まさか、私がカナダを売れるとは思っていなかった。その時に割と、お、俺って他の業界でも
通用するんちゃうか? その時明確にワイン販売しようとは思っていなかったのですが、旅行以外
だって別に大丈夫なんじゃないの?(売れるんじゃないの)と言うきっかにはなっています。
なのでカナダが売れたということは、ある意味大手旅行会社ってすげぇ〜と思ったのと同時に、
俺他のものでも売れる? と言うきっかけになったので、自分でやっても、よしいけるかな?!
と思いました。

本田:このきっかけに気付いたのは幾つの時ですか?
片桐:え〜と、30才位のときじゃないですか、31才ですね。

本田:この時はまだ独身?
片桐:独身です、ディスコを借りて稼いでいた高校生当時は当然ディスコに遊びに行っていただけ
ですから、ディスコの人と交渉するとかそんなこと全く判らない中であの時会社を興してたと
したら、今パーティー•イベント主催業みたいなことやっていたような気がします、素人がよく
やっていたなぁ〜という感じがありますね。やっぱり楽しいからやれちゃう!
のでしょうね、
楽しいから100名でも200名でも集客できちゃう、楽しいから女子校にパー券売りに
行けるのでしょうね。
本田:ここで質問なんですが、まだこの時独身、家庭がないからっていう意味合いで、
自分のやりたいことが出来る、自分へのチャレンジですよね、プラス、今まで会社勤め(安定)を
してきて安定
した収入があった訳ですよね、起業(不安定)を選べた理由って言うのは何ですか? その時家庭があって子供がいて安定した収入があったとしてもそれを蹴ってまで
不安定(起業)を
選ぶことが出来たのかな?
片桐:そう思います、なぜならそんなに不安定になるとは思ってなかった(二人して大笑い)
(実はその後えらく不安定になるんですけどね•••また大笑い〜。)
30才位の時って、まぁ〜ディスコなみに、チャラチャラっとやれるんだと考えていました。、
ディスコでだって稼いだし、カナダも売れたし、あの日焼けした芸能人が出てこなければもっと続けられた。

本田:はぁ〜、私なんて失敗して諦めてばかりなのに〜•••
片桐:なので、分別力と行動力があるとすると、20才くらいから社会人が始まって、5060才、
70才くらいまで働くとすると、分別力っていうのはどんどん
上がっていくと思います、
どの業界にいてもこれをやったらこうなるといった具合に、読みもあるだろうし人脈も広がる、
どんどん上がっていくものが分別力だとすると、“行動力”いわゆる動き回るって
いうのは20才の
時が最高で、70才くらいになるとほぼほぼ行動しなくなると思います。
やはりその行動力の基に
なるものっていうのは、何かっていうと、もっと稼ぎたい、もっともっと難しいことに
チャレンジしていきたい、その行動力が30才くらいの時にそれが最も強くて、
自分が動いたら
どうにかなるだろうと言う自分を信じる力っていうのが強かった、
家庭があったとしても
恐らく同じ様に独立しスタートしたと思います。

本田:なるほど、そうかぁ〜、決断すること、決意する事って意外と簡単ですよね、一番難しい
のは何かっていうと、片桐さんが今までおっしゃていたように行動することだと思うのです、
その行動の“パワー”となっていたものは、やはり例えば、金銭的な欲求なんですか?
片桐:それもありましたが、もうちょっと自己実現みたいなところが強い、やっぱり自分で自分の
力だけでやってみたい、給料が良さそうだから独立したという意味では余りないですね。自分を
今でも突き動かしているのは、割とそういう未知へのチャレンジ、自分がどこまでやれるのか、
今でもその当時と同じです。目標があって動けているのではないかと思います。ただ当然、
あれやったら失敗する、これやったら失敗するという分別はついているので、それなりに
ブレーキはかけています。原動力になっているパッションの部分と言うのは、“お金” や
“ もてたい”と言うのがゼロではないですけど、ほぼ自分へのチャレンジ、自己実現、自分の理想と
している自分をずっと
追い続けている、明確にそれは何かって問われれば物質的に良いマンションに
住みたいとか、
いいもの食べたいとかもありますが、やはり兄や親を超えたいとか、
何かそういうところも
あるのだと思います。

本田:ここでちょっと片桐さんの心の奥底を聞かせて下さい、冒頭におっしゃっていた
“学校での成績” が上の上の兄弟のこと、僕は本気だしていないだけ、今まで頑張ってこれたのも
本気でやったら兄弟は軽く抜ける! ということを証明しようともしているのですか?
片桐:もう抜いたと思います、

本田:かっこいいなぁ〜!
片桐:ただ金銭的、物質的な面では抜いたとは思います、ただそれは人間として抜いた、抜いて
いないという問題ではないので、一つの指針としていたのと同時にもっと私の内心のところを
きちっとお話すると、独立することができた、そのときに自分一人の力でできた。そうできた
一つの理由には、兄が安定している。兄が安定して、真面目にやってくれているので家(実家)
守ってくれていたのも事実です。兄は今46才で、大手自動車メーカー会社のエンジニアで
課長をしている、大学も工学部を卒業、安定はしてくれている。弟は比較的すきなことをやっても
大丈夫という環境があった。“ついていた”(ラッキー)、ので兄と姉には感謝をしています。
ま、勝手にやらせて頂いたと言うとこですかね。

本田:なるほど、次男の特権ってやつですね、時代は変わってもまだそういうものがこの
日本には
残っているんですね。では次に、起業した職種ワインの輸入を最初に選んだ理由を
教えて頂けますか? なぜワインだったのか?
片桐:ワインを選んだ理由というのは、あとというかホント独立するちょっと手前で決めている事
なんですけど、大手旅行会社が外的要因でなくなってしまったので、起業に対してそれほど
ゆっくり考える時間がなかった。そのあと起業しようと思ってまたシドニーへ。シドニーの
お土産屋さんに修行に出てるんですよ、え〜と10ヶ月間くらいかな、そのお店で頑張ってやって
いる社長がいて、彼のところで商売
を教わりました。
彼のお店は一番良い時代で年商8億か、9億円くらいのお店をやっていて、韓国や日本に対しての
貿易を始めた頃で、ま、なんだろうな、今までは旅行業に関してはなんとなく端から端までは経験
してきたので経験していない世界というのは独立して自分で
やっている人の近くで仕事をして
みたいと考えましたね。正直そのときに、もっと日本国内に
そう言う人がいれば、日本でと
いうことも考えたのですが、その時ちょっと考えたのが、中堅旅行会社時代の人が独立して
どうにかして
食いつないでいて、それを見てちょっとやってみようかというのもあったのです
けれども、
別に旅行でなくても良いだろう! 自分の強みとか弱みとかを考えた時には
もう30才ですから、
そこから新しいことを始めるっていうのは難しい、旅行又はオセアニア
というキーワード
以外で人と勝負して勝てるというのがないから、オセアニアという“くくり” の
中で商売をして
いる人というような中でその社長と出会い一度仕事をしてみたい、そんな理由で
また
シドニーへ行きました。はっきり言ってこれは結婚していたらできなかったことかも
知れません。
住んでいたところを変える訳でまた日本からAUSへ戻ったので、逆をいうと
普通の人だったら考えつかなかったことかも知れない。僕の場合AUSは庭みたいな場所だから、
ちょっと行ってくるという軽い気持ちで行けちゃってます。彼(社長)
お店もまだまだ商売が
伸びていた時代だったので、私1人を1年間くらい雇っても
どうにでもなると言う、また彼に
してみれば私の経歴みたいな人間が彼の会社に
入社することにより彼の会社も安定感が増す、
それまでに取れていなかった仕事も取り易くなると
言ったお互いの相互利潤が合致した。
10ヶ月間ぐらいかな、一緒に仕事をさせて頂きその後日本に戻り、よし起業するか!
という具合になっていきます。

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