鳥羽 明美氏

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お名前   : 鳥羽 明美 B型
生年月日  : 1965年2月19日 生まれ
家族構成  : 父・母・妹・猫1匹
会社名   : 株式会社 ミ・ク・ライズ 代表取締役
設立年月日 : 2011年12月22日
年商額   : 約1億2千万円 

 

■学 生 時 代
本田 どんな学生(中高生)でしたか?
鳥羽 体育が得意な学生時代でした、今では鈍臭いと見られてますけど・・・
でも勉強とは関係ないんですけど、“想像”(妄想)が好きな学生でしたね、
本(童話)とか読んで、妖精がいるかも!と思ったら、夜寝るときに窓を少し開けて
寝るとか、ここから妖精が入ってくるかも〜とか本気で
思っていましたね。

本田 それ中高生の時?
鳥羽 いや、小学生から中学生くらいの時かな、中学生の時は現実社会をみるかな?
といった感じ、色々な人がいて、例えば悪くなっちゃう人がいたり、くそ真面目な人も
いたりと、
でも悪い事している人も情熱的であったり、仲間想いであったりとか、
どっちかと言うと
私はいい子タイプ、でも両方の友達がいましたね。

本田 勉強は好きでした?
鳥羽 勉強はですねぇ〜、えっと結構中学の時は好きだったかも知れません、塾も行ってたし、
勉強ってちょっとしたコツを教えてもらうと、キュ” と成績が伸びるじゃないですか、
そのコツを教えてもらったのが塾でしたね。
塾で勉強してて、勉強って、なんだ面白い!と思って、だからどんどんすすんでいたと思います。
でも不思議と小学生の頃から海外に憧れていて、その当時『アテンションプリーズ』っていう
ドラマがあって
それを見てがキャビンアテンダント(当時はスチュワーデス、スッチーと呼ぶ)
になりたくて仕方がなかったですね。
当時そのドラマが大流行りで親族が集まった時なんかも、
「明美、あの仕事について色々海外行った方がいいよ!」って
言われていました。

本田 ほぉ〜、そのドラマを見て、単純に海外へ行きたいなぁ〜とか、「CA」になりたいなぁ〜と
漠然と考えていた?
鳥羽 そうですね、「CA」の仕事って面白そうだなぁ〜とか、海外行ってみたいなぁ〜とは
思ったましたね、飛行機も乗ったことないし!

本田 あ〜あの時代はそういう時代ですね。
鳥羽  私もあ〜いう風になりたいな! と中学の頃思っていて、そうすると“留学” なんて
“文字”が目に飛び込んでくる。中学くらいからそう想っていたんですけど、そういうものに
対しては無知だったから、両親にこういうのやってみたい!というと、
「そうね、お年玉が貯まってからだったらいいよ!」って言われて、わぁ〜いなんて
思っていても一向に貯まらないし、留学なんて高額だからほど遠い目標になってしまう(笑い)
こういう時に色んな情報を持ってる人、集める人って、奨学金だとか交換留学とかを
自分で探す、今思えばそういうのを探せば良かったと・・・・そういうのを知らないで
育っちゃったから、海外へと言う機会は無かったですね〜。
本田 ではその時代にインターネットがあったら?
鳥羽 絶対に海外行っていたと思う! それが今の時代の流れ、今の人達は情報が沢山あるから
そういうのを使って色々な情報をゲットして、形にする時間は今と比べて格段に早いと思います。

本田 確かにそれもあるけど、でも余りにも情報があり過ぎてどれを選択していいのか?
どれが正しい情報なのかを見極めるのも難しいとは思いますよ。
鳥羽 そうですね、だからそれを相談できる人がいればいいと思います。

本田 では、その海外へ行きたいと言う想いと共に、将来の仕事に対するイメージとは
どんなものがあったんですか?
鳥羽 そりゃCAです、だけど結果として身長が足りなかった!(笑い・・・)

本田 それは調べたんだ?
鳥羽 その時はまだ中学生だったから、身長は伸びるかも知れないと一縷の望みが
ありましたけどね。(笑い)身長が160cm以上必ず必要だったから・・・物理的に無理でした。
でもものすごいショックだったのを覚えています。自分が努力して努力して駄目だったら
諦めもつくけど、どうしようもない事実(身長が足りない)だったから。で、この後
私何になるうだろう?、と、取りあえず短大にいくことにしたんですね、
スッチーになるんだったら、短大か4大が必須とあったんで短大にしました、
行く気はなかったんですけどね。
そのときに色んなアルバイトをしました、何がしたいんだろう?と
模索しはじめた時期でもあったですね。

本田 ちょっとご免なさい、話は戻るんですが、父親や母親から仕事に対するアドバイス
みたいなものってありました?
鳥羽 ない・・・ですね、私はどっちかというと相談するタイプでもないし、父は口数が
少ない人でしたから。

本田 母親からは?
鳥羽 母からは、「あなたどうするの?」って言われましたけど、今考えているからちょっと
待ってて! みたいなものでした。どちらかというと事後承諾みたいな家庭でした。

本田 へぇ〜、じゃ、あ〜でもない、こ〜でもないって言われてたら反発してた?
鳥羽 あ、そうかも知れないですね、マイペースで出来ましたね、有難いと思います。

本田 で、短大入ってアルバイト、何種類くらいしたんですか?
鳥羽 え〜と、5種類くらいですね。

本田 へ〜、ではその中で見つかった? 見つかったと言うかその中でこんなのいいな〜とか
いうもの。
鳥羽 スッチーも目指してましたけど、それとは別に教えることもすごい好きだったので、
幼稚園の先生とか小学校の先生とかもやりたいなというのも小学校の時からあって、そうで
あれば大学も教育学部とかいかなければいけなかったんですど、急に進学することになって
短大へとなりますが、人に教えることも好きかも知れないと思って、教えるバイトも
したりとか色々模索してました。何が決めてだったかと言うと、ディズニーランドで
アルバイトした時に、やっぱりそこはみんなに夢を与えること、それでみんなが喜んでくれる、
他人が楽しめる夢が与えられる
仕事がいいなと再認識します。

本田 へぇ〜、その時に探していたんですね。いままで3名程度、また私の友達の話を聞いて
みてもそんな若い時に自分の針路を模索するっていうのは、やはり女性だからかな?
男性は20〜30代、下手をすれば40代でもフラフラしてるっていうか(笑い)
鳥羽 女性はやはり、最終的には逃げ道(結婚)とまでは言えないけど、そういうのが
あるからある意味破天荒に出来ると思いますし、えいや!でできちゃうところがあるんだと
思いますね。

本田 あ、そうかそういう事もありますよね〜。

■■就職前後のヒストリー
鳥羽 短大を卒業して旅行会社へ入社するんですが、そのキッカケをお話させて頂きますね。
学生の時につきあっていた彼氏と夏に旅行に行こう!となって、彼の誕生日が8月15日
ドンピシャお盆時期で
どこをどう探しても予約でイッパイで、諦めかけていた時に池袋にある
とある旅行会社のカウンターに行って駄目元で
どこか予約できるとこないですか?
ってお願いした際のカウンターの方が多分新人(社会人1先生くらい)が
一生懸命&すごく
必死になって探してくれて、今みたいにインターネットなんてない時代ですから、あちこち
電話しまくってくれて! 
一時間くらい待って結局、清里のペンションを探し出してくれたんです、
あんなに嬉しかったことなかったですよ。
またそのペンションが良くて良くて非常にいい
思い出が作れたわけで、
この仕事って人に夢を与えられる仕事だって勝手に思って、
単純なんですけどね。
で、旅行会社へ入ろうって、でも経済学部だったので旅行会社の求人が
その当時2〜3件しかなくて、
でもよく調べたら大学の先輩が入社していたんですよ、
ってことは可能性がある! と考えて、色々あちこち電話して
見つけました。

本田 そういう理由で旅行会社へ入社、したと。
鳥羽 はい、そう言う事ですが、自分でも訳わかんない•••、

本田 スッチーから始まって幼稚園の先生、教えることが好きだっていってその方向かなと
思いつつ、ディズニーランドで
得た体験、人を喜ばすことがいいな〜って思って。
鳥羽 旅行会社なんて全く考えてなかったから。

本田 旅行会社の人が一生懸命やってくれて、すっごく嬉しくて、夢を与えてくれて!
いうことで旅行会社。
鳥羽 カウンターで待っている時に周りを見渡したりすると、オジイちゃん、おばあちゃんも
いて、この仕事って
年齢関係なく、喜びを与えられるなって思ったんです。

本田 では自分が思い描いていた旅行業界、実際に入ってみてどうでした?
鳥羽 昔から考えていた業界でもないし、勉強もしていないから全てにおいて新鮮でしたね。
何にも判らないこんな私を入れてくれて有難う!ですよね。お客さんに「博多までお願いします」
って言われて何をどう手配していいかも判らず仕舞なそんな私でしたから。

本田 で、その会社に何年くらい?
鳥羽 4年半くらいです、そのあと海外の会社へいく訳です。

本田 であれば、幼い時の夢が叶ったと考えていい? スッチーから海外への憧れみたいなもの?
鳥羽 そうですよ、いきなり訪れたって感じです。
でも、その前にものすごく不思議なことがあって、その会社に勤めている時に、ある日
トラベルジャーナル(業界紙)に
業界専用の格安航空券の記事があって、それを見た時は
ふ〜んオーストラリアか、とそんな気にも留めなかったんですけど、
そのあと仲の良い
友達(別の支店)から連絡があって、あたしねオーストラリア行くの! って言うんです。
ふ〜んいいね! って言ったら(そう大していいとは実は思っていない)、
一緒に行こうよ!って誘ってくるんですよ。
でも一週間も休み取れないし〜、そうしたら友達が、
航空券安いし、ホテルも3人で部屋をトリプルにすれば安くなるし〜。
そんなかんなで、
上司や先輩にこの日〜この日休暇取ってもいいですか〜とお伺いをしたら、すんなりOK
くれて
行く事になっちゃうんですね。
その旅でゴールドコーストの海を見て何かいいなぁ〜と思ってたら、
「わたしここに帰ってくるって感じたんです」
その時に、ふと! だからお土産全く
買ってないんです、不思議なんです。
帰国して数ヶ月後、再度トラジャルをぼーと見ていたら、
オーストラリアでの求人募集って言うのが目に飛び込んで来て!
でも〆切3日前だったん
ですけど、焦って全部書類揃えて速達で送って何とか間に合って!
めでたく合格して!
オーストラリア行き決定! です。

本田 う〜ん、不思議だ! だってオーストラリアへ行きたいって言うのではなくて、
海外へ行きたいっていうのはあったけど。
結局その会社には何年在籍したんですか?
鳥羽 2年ですね、シドニーで2年間だけ、その時に付き合っていた彼と一緒にアデレードへ
行きました。

本田 それで結局オーストラリア滞在は合計何年なんですか?
鳥羽 10年、いや9年くらいですかね。

本田 その後日本へ帰国する訳ですよね、その帰国理由は、メインの理由を聞きたいですね。
鳥羽 長野で冬期オリンピックが開催されるからです!

本田 え? ただそれだけの理由? じゃ長野でオリンピックが開催しなければ帰国はない?
鳥羽 そうです、それがなければ、ずっとオーストラリアにいるつもりでしたから。
でも日本で何かをしなきゃいけないんじゃないかとは思っていたと言うか感じてはいました。
日本に帰国して、オーストラリアへ帰ろうとすると何かが(引き止めるもの)があるから、
あ〜私はこの日本で
何かをすべきなんだと言う捉え方をしましたね。オーストラリアへ戻るので
あれば、この日本で何かを得てから帰るべきだとも言う感覚?的なもの。
その時に考えたのは、じゃそのままオーストラリアにいて、次のステップ、次のステップ
アップを
考えた場合は何かあるのか? 旅行業界にいたので、支店の責任者をするのか、
ホテルにも勤めたんですが、
ホテルで学んだ事を更にブラッシュアップさせる?
でも何か自分の意志に沿わない気がしていましのたで。
いつもの面白ろそうだな、
楽しいそうだなという所で判断することが私に取っては大きかった。

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