マッキンリー・大川 力氏

IMG_1083大川 力 氏 & 友人 Y 氏
「マッキンリー登頂記念写真」

1970年12月4日生まれ
良妻賢母な奥様と3人の子供に囲まれた父親・43才


本田
 まず何才の時にこのマッキンリー登山を挑戦しようとかんがえたのですか?
大川 ちょっと一言最初にいいでしょうか?
本田 あ、はいどうぞ!
大川 ホームページを拝見させて頂いて、冒険者というページの“冒険者” と言う言葉に
非常に違和感を感じています。

本田 ほぉ〜、その意味する所はなんでしょう?
大川 多少なりとも海なんかもそうだと思うのですが、山の世界を少しかじった人間に
とって、まずマッキンリーに登ったということを冒険者として扱われると言うのは、
有り得ない、とても恥ずかしい話なんですよ。

本田 そうなんですか? それは何故ですか?
大川 山の世界と言うのは、冒険と言われる、アルピニストと言われるには、ある程度一定の
ルールがあるんですね。また冒険と言うのは僕なりの定義で言うと、まだ誰もやったことが
ないことを
成し遂げることを冒険と解釈しています。それは別にこの世界に限らず
“初めてっていう冠” がつく、
全てに関して。例えばイタリア料理を日本に初めて持ち込むと
言う事、
マッキンリーと言うと何万人、何十万人と登っている訳なんです。
今年の夏なんかも沢山の人が登っている、だからそういうものの対象に対して冒険者と
呼ばれるのは
ちょっと違う気がします。

本田 なるほど。
大川 だから普通の旅人としての感覚、旅行とは明確に違います、旅行とは事前にプランがあって
全て手配して
形が出来上がったものに参加する、明確に旅行と旅とは違うと僕の中では
決めています。
だからマッキンリーに登ったことを冒険者と呼ばれるのは僕に取って非常に
恥ずかしいことなんです。
本田 理解です、この話以降 “旅人” と定義していきましょう!
では本題に入らさせて頂きます。改めて何才の時にマッキンリーに挑んだのでしょうか?
大川 32才の時ですね

本田 ではこれに挑戦しようと考え初めたのは何才くらいですか?
大川 ま、29才〜30才くらいのときでしょうかね。

本田
 キッカケは何?
大川 キッカケ、これは今でも良く覚えています。 当時TVコマーシャル製作会社で働いていて
本当に自分に取っていい環境、サラリーマンなんですが、服装も自由、就業時間も決まっていない、ま、一つのコマーシャルを作ること、業界チックな感覚もありましたし、あとは同期(同僚)と
非常に仲が良くて最近では疎遠になりつつあったのですが、またその関係が復活しつつあります。
今まで仕事をしてきた中でも最高の同僚と呼べる者がいたと言う非常に良い環境の中での仕事、
と、同時に僕は野球観戦が非常に大好き、またプレイするのも好きですが、中日の大ファン、
あるとき神宮球場で、30才少し前だったかな、勝てば優勝という試合を見に行ったんですが
もうこれは大変な試合で、勝てば優勝、胴上げが見れると、今までは胴上げとか実際生で見たことはなくテレビ中継とかでも見ていてやっぱり涙が出てくるんですね、今ワールドカップやってます
けど、仮に日本が優勝
なんてしたりしたら涙が出る! また自分の出身大学が箱根駅伝で初優勝
した時にも涙が出ちゃう訳なんですよ、
それと同様に自分の大好きな、ひいきの球団(中日)
がまさに目の前で優勝し胴上げをしたんですが、
その時素直に喜べない自分がいたんです、
いや嬉しいですよ、でも涙が出る程の感動ではなかった。
その瞬間、胴上げを見ている瞬間に、ふと、これ “自分がやったことじゃない”
(自分がおこなった事での感動ではないな)と気付いたんです。

本田 ほぉ〜・・・なるほど
大川 今までの感動と言うのは、全て、箱根駅伝も、野球もそうですけど、人(他人)が
やってることで感動している、
映画もそうなんですけど、他人が作ったもので自分が感動している、それはそれで勿論良い事ですし、これからも続くことだとは思いますが、あれだけ好きだった
中日ドラゴンズが優勝して、ちょっと引いてる自分を
もう一人の自分が見ていることに
気付いたんです。
この時に “あ、自分でやったことで感動したいな!” と単純に思いました。

本田 なるほど、それがキッカケ?
大川 あと、どこへでも気軽に行ける時代に日本基準しか知らないと言う事が、僕にとって非常に
窮屈に感じていたのも確かです。

本田 ふ〜ん、自分でやった事で感動したい、そして日本基準の自分、この二つがマッキンリーへといざなうわけか〜。
大川 この想いを仕事でもかなえることは可能だったとは思いますが、そのときは仕事ではなくて
一回会社を離れてみようと思う訳です、自分に出来ることは何かな? と考えた時に思いついた
のが、大学時代に所属していたワンダーフォーゲル部、山の延長であり、でも一番最初に思いついたのが “旅” ってことです。
バックパック一つで自分の知らない場所、見知らぬ人、自分のことさえも
知らない世界へ行ってみようと、
その環境に自分の身を置いた時に、自分は何ができるのか?
その時の自分は次にどういう行動をおこすのか?

本田 う〜ん。
大川 なんかそこを追求してみたいな!と思う訳です。 これがキッカケですね
しつこいようですけど、自分のやったことで感動したい、泣きたいって事です、要は。

本田 今までは感動を与えられてきて、それで喜んだり、涙したりしてたんだけど、
中日の優勝、胴上げをみた瞬間に
何故そこで一歩引いていたんでしょう?
大川 素直に感動できなかったんですよ、それしか言いようがない。感動はしてるんですよ、
だってあれだけ好きなチームでカリスマ的な星野が監督、その星野が胴上げされる、
そのチケットも朝から並んで買ってる訳です、会社をサボって、平日の朝の9時位に行ってる
訳ですよ、
並んで買ってそこまでしてますから感動するだろうと!
試合も試合で8、9回でも点を取ったり取られたりで
ハラハラドキドキの試合ですよ、
スタンド自体でもウェーブが起こり、もう凄い盛り上がり方なんですよ、
最高のシチュエーション
ですよ、でも何か自分は素直に喜べなかった、その時他人がやってる感動を受けているだけなんだ!と妙に冷静な自分を偶然発見してしまったんです。

本田 言っている事は理解出来るのですが、、会社もサボり、朝から並んで、試合も最高潮、
それだけ最高のシチュエーション中で何故感動しなかった理由? って何だろう?
大川 それは今でも判りません、でもその時思ったのはこれは何なんだろう? と考えた時に・・・
自然にそう思っただけなんです、単純にそう思っただけのことです。自分が自分に一番ビックリ
した瞬間ですね。

本田 ほぉ〜、では仮に中日のファンでなくて試合を見に行ってなければ、マッキンリーは
なかった?
大川 その可能性は大ですね、現状に不満足ではなかったですし、ま、その当時の環境に満足して
いたので。
ただ普通に悩み? は持ってはいましたね、今のままでいいのかな? とか、
隣の芝は青く見えたりとかはありました。
ただこれがキッカケで、自分でやったことで
感動したい!と、強く思うようになりそれが直接の動機です。
当然仕事でもそれを実現きることが(自分を主体とした仕事で感動するということ)
できるのですが、
その当時若かったからそこまで考えなかったですね(二人で大笑い・・・)、
大きな仕事をこなしたりとか
お客さんに喜んでもらったりとか、今はそう考えることが
できますけどね。

本田 で、少し話がとぶんですが、素人目からみればですよ、会社も辞め極端な話、それまで
築いてきたことを
投げうってまでするとすれば、山の最高峰であるエベレストを想像するんですが、何故マッキンリーだったんでしょう?
大川 直接マッキンリーへ行った訳ではなく、まず最初に会社を辞めて旅人に変身します、
そこでバックパックを背負って・・・

本田 ちょっと待って下さい、キッカケが自分のやった事で感動したい、これが発端。
と言う事で見渡してみて
旅人になろうと、そしてバックパックを持ってどこかの国(見知らぬ国)へ行こうと言うのが始めの一歩?
大川 そうです、その時点でマッキンリーは全く頭の中にはありません。
本田 ほぉ、その時点ではマッキンリーはなかった。
大川 全然ありません、要はマッキンリーに行きたいから会社を辞めた訳ではありません、自分が
やった事で感動したいと言うのが最初で、次に自分は何者なのか? と考えた時にそれを理解するための
一番の方法は旅に出る事じゃないかと考えます。

本田 なるほど、29才の当時に目覚めてしまった訳ですね。
大川 なのでそう考えたとほぼ同時期に会社は辞めてます、30才になったとき、だからそう
考えた半年後に
辞めてます。

本田 半年で辞めちゃう訳ですね、自分自身を見つめ直したいという理由で。
ここからですが、どういった流れでマッキンリーへと繋がっていくんでしょうか?
大川 まずですね、4月からプー太郎(職がない人の呼称)です、初めての経験。
暫く、一番覚えているのは、それまでは行く所があった(会社)のに、初めて行く所がなくなった。

本田 実家暮らし?
大川 いいえ、社会人になったと同時に一人暮らしです、そんな環境に自分でビックリして、
しょうがないから
喫茶店へ通ってました(笑い・・・)10時、11時くらいですかね、
取りあえず行く場所がない、だから喫茶店、これだけはよく覚えてますが、
他に何をしたかと
聞かれても余りはっきり覚えてません。
で、取りあえず “旅人” になろうと思ったので、
外国にいこうと考える、そこでH○Sへ行く。
何故かっていうと学生時代に旅行へ行こうと思うと
良くそこへ行って格安航空券とか買っていたので。
その当時(学生の時)アメリカへ
よく行っていた、アメリカが好きで、だから又アメリカへ行こうと思った。
H○Sのカウンターに
座った時に頭に浮かんだのは、会社を辞めるという決断をしておきながら知っている、
行ったことがある国に行くと言うのはちょっと違うだろうと、本末転倒だろうと。
じゃ、実は一番興味があって今しか行けなくて、ちょっと面白くて、危なくて(命の危険性)、と
考えると、
あ、アメリカじゃない!、あ、アフリカだ! アフリカに行こうと思う訳ですよ。
今しか行けないこういう状態(会社を辞めてフリーな時間がある)は後にも先にもないなと思い、
アフリカ行きを決断します。アフリカって言うのは本やTVの中で色々見ますけど、やっぱり自分の
目で一体どういう所なの? 
ということを確かめたい、その流れの先に5800Mのキリマンジャロがある、まずこれにトライしてみようと考えます、で行ったのが、アフリカ、ケニア、タンザニアです。

本田 キリマンジャロ登った?
大川 登りました! なぜキリマンジャロになったかと言うと、山の一番いい所は、頂上があって
それを登って降りてくると言う明確な目標と結果(達成)がある、非常に判り易いですよね。
取りあえず会社を辞めて、目標として自分でやった事に感動するというのがありましたから、
旅人としての
結果も欲しいなと、ただ漠然と登った訳です。当時は当然お金がないですから、
格安航空券を購入します、ってことは帰りの日にちも決めておかないと
いけない、なので帰りの
日付を設定する=それまではそこに滞在していないといけない、どんな事があろうと。
(格安航空券の宿命ですが、だから安い!)なので、ある程度自分が納得できる、物事から
逃げないと考えた時にその期間は2ヶ月位だろうとよむ。
2ヶ月滞在できれば、何とか
“大人”になって帰ってこれるのかな? と。
だからマッキンリーのマの字もまだ出てきません、
この時も。
キリマンジャロと言う山は、富士山の延長、だから誰でも登れるんですよ、
ハイキング的な感覚です。

本田 ではそれ程難しい山ではない?!
大川 ええ、難しいどころの話では有りません、新婚旅行にもお勧めですよ!

本田 知らなかった!
大川 笑っちゃいます、ハイキングです。また富士山なんかよりも奇麗な山小屋が数多く点在して
いますし
食事も全てそこで食べられます。要は身一つで歩けば良いだけの山、ただし
気をつけなければならないのは高山病だけです。
普通は団体で登るんですが僕は一人、現地では
ポーターを雇わなければなりません、
その国の雇用の為に、モシっていう小さな村があるん
ですけどそこでガイドも手配します。
そんな所でも英語ができない自分がどうにかこうにか
物事を進めていく面白味もあるんですよ、
結果的に僕は高山病にやられてしまいます、
(意外と高山病には弱い体質らしいと気付く)
もの凄い高山病にかかり、その時に自分では
高山病ってものに対して余り知識がなく、熱が出て
風邪による発熱だと勘違いして、バッファリン
を沢山飲むんですが一向によくならない(当たり前!)
この時に、自分は会社まで辞めて
勇んでここに来たのに、こんな所で風邪ひくかと?! 
情けないと思う訳ですが、
登山前に決めていたことがあって、“何があっても絶対登る” と言うのだけは
心の中で決めて
いたんです、頭痛と熱でどうしようもなかったんですが、最終的には頂上に辿り着きます。
頂上に辿り着いた途端前のめりで “ばたっ” と倒れます、やっとの思いでの登頂ですよ!
そこで緊張の糸が切れたんだと
思います。またキリマンジャロには二つ頂上が存在していて、
一つはギルマンズピークと言って大概の人が
ここで登頂を終わります、何故かって
やはり高山病が酷いですから。
でも僕は完全にそこは無視して、とにかく真の頂上に目指します。
結果的には頂上に到達、そして倒れその後はリアカーに載せられて下山します(情けな!)
これでキリマンジャロの挑戦は終了です。

本田 実際、登頂に掛かった時間(期間)はどの位ですか?
大川 4泊5日。
本田 え? そんなものなんですか?
大川 ホント、それだけの山、何の技術も必要ないという意味です、誰でも登れる山ってことです。
だから冒険と言われると恥ずかしい、こんな意味も含まれるということです。自分自身、
え? こんなもの? と、納得しない訳ですよ、こんな簡単なキリマンジャロぐらいでは・・・

本田 あまりにも簡単だったからと言う理由?
大川 簡単ていうか、いや、こういう事を望んで会社を辞めた訳じゃないと。
本田 違う、会社を辞めてまで来てこれじゃない! 感覚的に違うと言う意味ですか?
大川 違うということではなくて、自分ではまだまだこんなもんじゃないと。

本田 高山病になりながら、頭痛、熱、呕吐までして、自分ではまだまだ?
大川 そうです、下山してもまだ帰国日まで1ヶ月と半月ありましたし、また貧乏旅行だった
わけで最後10日間くらいろくにご飯も食べられない(お金がないから)、
帰りの飛行機で出た食事でホントがっつきましたね。またお金がないからミネラルウォーターも
買えない、ガイドブックにも注意書きとしてよく書かれてはいるんですが、水道の水は絶対
飲んじゃいけない、でもお金がないからそれを飲んで、また熱、下痢、呕吐の三重苦。
ケニアの町では銃声がよく聞こえたりして、周りの連中と一緒に逃げ回ったりとか、ホテルも
ホテルで2階の窓枠に鉄格子があって入り口にはガードマンが立っている、そんな危険な国
なんです、アフリカって所は。

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